新春、押入れの整理をしていたら、20年前にバンドメンバーに、勝手にダビングしてもらった、HANOI ROCKSのブートライヴビデオと、チェリーボムズのアルバムが出てきました。
久々に聴いたけど、いや、ハノイはいつ聴いてもかっこいいですね。
40歳になったというのに、ハートが熱く揺さぶられます!!

 

 

ところで、みなさん、

 

HANOI ROCKSってバンド、ご存知ですよね?

 

近年再結成していましたし、80年代オリジナル時代は、ここ日本でも相当人気がありました。
今でもハノイが好きという方は、1970年前後生まれを中心に、かなり多いと思われる。
僕もリアルタイムで大好きだったバンドの一つで、相当影響を受けました。
 
まあ、僕ごときがハノイはどうこう書かなくても、ちょっと調べれば沢山情報は転がってるし、ギターロックンロール大好きな人ならまず知ってるであろう。
なので、興味の無い人には全然ついて行けない、どうでもいい内容になりそうですが、ここではハノイのメジャーではない気になるメンバーや、彼らのあまり有名ではない部分などについて、自分の興味の範囲で調べてみました。

 

ケバケバのファッションと化粧に長髪。
知らない人には、ハノイロックスは一見、80年代にありがちだった、安いグラムっぽい、ヘヴィーメタルバンドに見えるかもしれない。
しかし、音を聴くとわかるが、メタル色はほぼ皆無である。
だいたいギターサウンドからして、あまり歪んでない・・・、ペラッペラな音色。
フィンランド出身のメンバーが中心だからか、曲もベタなくらいメロディアスなポップが中心で、日本でこれだけブレイクしたのもうなづけるサウンドになっている。
 
彼らは1984年、全米ブレイク寸前だったと言われる中で、突然の空中分解を迎えてしまうが、その事態を引き起こした切っ掛けは、ドラムのラズルがドライブ中事故死したこと。
そのラズルはメンバー中、唯一のイギリス人で、バンドには中途加入である。
デビュー当時演奏していたドラマーは、スウェーデン人の、ジップ・カジノという人だ。

 

 

このジップ・カジノ/Gyp Casinoという人。
オリジナルドラマーで、彼らの名曲のかなりで演奏しているというのに、とても存在感が薄い。
メンバー自身がそもそも、みな事故死したラズル、ラズルという感じで、ジップに対しては相当冷たい。
元々ラズルには、ムードメイカー的な一面があり、人望もかなり大きかったらしいので仕方ないが、演奏自体を聞くと、僕の耳には、ジップ・カジノもそんなに悪くは聴こえない。

 

ラズルがライドシンバルを多用するややハードロックなサウンドに対し、カジノはタイトに走る感じで、パンクっぽいドラミングである。
彼については以前から詳しく知りたいと思っていたが、これだけ人気がある日本のサイトにさえ、彼の情報はほぼ皆無である。
何でもありそうな、アメリカのwikipediaにも出てこない。
 
詳しそうな情報があったのは、彼らの本元であるフィンランドや、スウェーデンのwikipediaだが、当然スウェーデン語だ・・・。
仕方なく、スウェーデン語を英語に訳せる無料翻訳をなんとか探し、英語を日本語に更に翻訳。
しかし、安い翻訳ソフト使ってる方はわかると思いますが、おかしな、おもわず吹き出すような翻訳になってしまう。
今回は二重翻訳だから余計だったが、おおよその彼の経歴は見えてきた。
正確さはやや欠くかもしれないが、ここからは、スウェーデンのwikiから知った情報の引用です。

 

ちなみに、ハノイのメンバーは、みなアンディーとかマイケルとかサムとか名乗ってるが、フィンランド人なので、全員本名ではない。
ちなみに本名は、

 

マイケル・モンロー→Matti Fagerholm(フィンランド人)

 

アンディー・マッコイ→Antti Hulkko(ロマ人=ジプシーと、スウェーデン系フィンランド人のハーフ)

 

ナスティー・スーサイド→Jan Stenfors
(wikiで現在薬剤師と翻訳されたので、薬剤師というバンドやってるのかと思ったが、なんと、
大学を出て、現在はフィンランドで本物の薬剤師の先生をされてるそうだ・・・。)

 

サム・ヤッファ→Sami Takamäki(2006年、再結成ニューヨーク・ドールズに参加。)

 

そして、ジップ・カジノ。
彼はスウェーデン人で、本名はJesper spur。

 

ジップ・カジノは有望なサッカー選手希望?だったそうだが、脊柱の怪我をしたことを切っ掛けに、音楽活動に転向。
スウェーデン初のパンクバンド、ワルシャワで活躍する。
その後アンディーマッコイ、マイケル・モンローと活動をはじめ、フィンランドとスウェーデンを行き来しながら、やがてそれがハノイロックスになる。ご承知、ハノイでは1980~1982年まで活躍。
名曲「白夜のトラジディ/TRAGEDY」「涙のシャイアン/CHEYENNE」は彼の演奏だ。

 

 

「白夜のトラジディ/TRAGEDY」

 

 

 

「Cheyenne」

 

ハノイ脱退(解雇?)後、ジップは、コニー・ブルームアンディ・クリステルAmused Ratsで活動する。
ちなみにこの、コニーとアンディの二人は、2000年代再結成「ハノイ・ロックス」のメンバーというからややこしい。
Amused Ratsは本国スウェーデンより、フィンランドでの人気が高くなり、それなりにヒットも出したようだ。

 

その後1985年に解散し、ジップ・カジノはドラムからギターに転向する。
しかし、新たに組んだバンドも一年で解散し、80年代終わりにはalligator Wineで活動。
このバンドはライヴで人気があり、ジップはツインドラムで再びスティックを握った。
90年代はいまいちパッとしなかったようだが、(というより彼自身がそもそもパッとしてない。)94年ごろ、アンディー・マッコイのプロジェクト「Shooting Gallery」に短期間在籍している。
世界的にはパッとしないが、フィンランドでは大人気だったみたいだ。

 

アンディーと別れてから、その後の記述はよくわからない。
わかることは、あいかわらずあまりパッとしてないらしいことである。

 

 

しかし、こう書いていて、自分では楽しく勉強になったが、誰もジップ・カジノを知らない、もしくは詳しく知りたいとも思わないだろうなぁ~、と言う事。
そう考えるとなんだかむなしさを覚えるが、全く評価されるに値しない人にスポットをあてるのも、シュールでいいかなと思います。
有名な方のは、秀逸なブログ記事がすでに沢山ありますからね・・・。