朝4時ごろ、目が覚めラジオのスイッチ入れた。まだはっきり目が覚めていなかったが新札発行、渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎の名前が挙がっているが、だれがいくらの紙幣の顔になるのか、朝、発表があるとのニュースに、頭が覚醒してしまった。
渋沢栄一がまた候補に挙がったのだ。実は私は、栄一の生まれ育った地に育ったのだ。小学生時代は黒板の上の壁から栄一翁の笑顔が見守っている中で勉強していた。秋のお祭りには、社務所に集まった年配の人々が、「子爵さん(栄一のこと)がいつもここにきて、獅子舞を見ていたんだよ」。我々には、とても誇らしい、身近な存在だった。その栄一が今度こそは紙幣に登場する。ワクワクして眠ってなどいられない。
以前、候補に挙がった時、ひげがないから偽札を作りやすいという理由で実現しなかった。その時はがっかりしたというより、髭なしのほうが清潔感があり、好感が持てるのに、その決定に裏があるのかなと思った。
私がアメリカから帰国の船の中で会ったアメリカ人女性と、スイスから世界旅行中の若い男性をつれ、丸の内の第一銀行の本店に行ったことがある。その青年がスイスで銀行に勤めていて、旅行後戻ると言っていたからだ。それなら私の親戚が日本で一番最初に設立した銀行に連れて行くと。スイスの銀行とはどこが違うか、何か得ることがあるはずと。
カウンターの奥の女性に声をかけると「お待ちください」。すぐに偉そうな男性が現れ、応接室に通され、その後、本店ビルの4階だったか、5階だったか、銀行の歴史博物館へ案内された。丁重なおもてなしに
「あんたのおじいさんはすごい人だね」
「おじいさんじゃないよ。ちょっと遠い親戚です」そんなこともあったっけ。
その栄一が日本国民の身近な存在になるのだ。
日本経済の土台を築いた業績は言うまでもないが、晩年、私財を投じて福祉に貢献したことも、日米が戦争に進んでいきそうなとき、人形外交したことも、もっともっと知ってもらいたい人物である。
渋沢栄一がまた候補に挙がったのだ。実は私は、栄一の生まれ育った地に育ったのだ。小学生時代は黒板の上の壁から栄一翁の笑顔が見守っている中で勉強していた。秋のお祭りには、社務所に集まった年配の人々が、「子爵さん(栄一のこと)がいつもここにきて、獅子舞を見ていたんだよ」。我々には、とても誇らしい、身近な存在だった。その栄一が今度こそは紙幣に登場する。ワクワクして眠ってなどいられない。
以前、候補に挙がった時、ひげがないから偽札を作りやすいという理由で実現しなかった。その時はがっかりしたというより、髭なしのほうが清潔感があり、好感が持てるのに、その決定に裏があるのかなと思った。
私がアメリカから帰国の船の中で会ったアメリカ人女性と、スイスから世界旅行中の若い男性をつれ、丸の内の第一銀行の本店に行ったことがある。その青年がスイスで銀行に勤めていて、旅行後戻ると言っていたからだ。それなら私の親戚が日本で一番最初に設立した銀行に連れて行くと。スイスの銀行とはどこが違うか、何か得ることがあるはずと。
カウンターの奥の女性に声をかけると「お待ちください」。すぐに偉そうな男性が現れ、応接室に通され、その後、本店ビルの4階だったか、5階だったか、銀行の歴史博物館へ案内された。丁重なおもてなしに
「あんたのおじいさんはすごい人だね」
「おじいさんじゃないよ。ちょっと遠い親戚です」そんなこともあったっけ。
その栄一が日本国民の身近な存在になるのだ。
日本経済の土台を築いた業績は言うまでもないが、晩年、私財を投じて福祉に貢献したことも、日米が戦争に進んでいきそうなとき、人形外交したことも、もっともっと知ってもらいたい人物である。