いよいよ渋沢栄一の大河ドラマが始まった。前々から予告編が流れていたので、栄一の育ったころの田舎の風景と私が育ったころの同村の風景にちょっと違和感を抱いていたが、栄一が育った江戸時代から私の育った昭和は怒涛の変化があったので、風景も大きく変化したと思い込むことにした。農家の作物も大きく変化したらしい。江戸時代はコメ、桑、藍の原料が主な生産物だったようだが、今はコメ、ネギがメイン。桑の木がどんなものか、今の子供たちに聞いても知らないに違いない。

 

血洗島は南北に細長く、その真ん中辺に崖が東西に走っている。この崖は西は隣接の本庄、東は深谷の町まで長く走っている。崖の下に清水川という小川が流れ、南側が渕之上、北側が新田と呼ばれた。栄一の家はこの川のすぐ上の渕之上にあった。東西南北、だだっ広い関東平野のど真ん中、里山や森や林はほとんどなく、緑は個々の屋敷林。家を囲む西側と北側に、赤城山から吹き下ろす強風を防ぐ高い防風林だ。

 

栄一の心を育てたのは、もちろん肉親、友人たち、それ以上に田舎の風景であったと思う。血洗島は西に富士山のような浅間山、北にすそ野の長い赤城山が見渡せる。栄一がどんな気持ちでこの山々を眺めていたか。子供時代、藍商人として長野の方まで出かけているが、その時浅間山をみてどう思ったか、興味を持つ。

 

ドラマの中で、血洗島は地味がよくなかったので、コメが取れなくて、桑や藍を育てたといっていたが、私が子供時代、血洗島は地味が豊かだったので、農家はほかの農村の家と比べて、お金持ちが多かったと聞いていた。特に栄一の家は豪農であったが、普通の農家であっても豊かで、町の夜遊びの場所で、着物を見れば血洗島の出身の男であることがすぐ分かったとか。夏、岡部村からリヤカーにスイカをいっぱい積んで売りに来る人がいたが、子供の私は、岡部の人は毎日スイカが食べられてうらやましいとおもったが、実は土地が豊かでないので、スイカを作るしかないとスイカ売りはこぼしていたことがあった。

 

これから一年間、日曜日の夜、自分の育った田舎へ思いをはせたり、栄一の元気な、前向きな、なんでもチャレンジする姿勢が楽しみだ。