昨日久方ぶりに上野公園に行った。
真夏の日差しの公園は、相変わらずの人込み。西洋美術館が世界文化遺産に認定されたので、そのためかと思ったが、西洋美術館を通過してもまだ人の波。この美術館や博物館の多い文化村に外出する人はおおいのだ。
「院展」の切符を頂いたので、疲れない程度にぐるっと一回りして、気分転換してこようと。日本画の公募展である。大作ぞろいだ。大きなキャンバスに、精密な筆タッチ。どの作品も作家の心がこもっていて、一作一作、丁寧に鑑賞しないと、作家の努力に失礼に当たるような気がして、結局全作品を、ゆっくり見て回ってしまった。洋画の影響が大きくなっている日本画だが、すんなり心に入り込み、肩ひじ張らず、ゆったりした気分になるのは、顔料の所為なのか、それとも日本人という文化土壌の所為か。
まず作品を遠くから眺め、作品に近づいて題をみる。画家の表現したかった意図を確認するために。なんとなく意味が分かるような漢字の組み合わせであったり、全く私の辞書にはないような言葉であったり、時には横文字も。それでも絵から湧き出る雰囲気は受け止められる。
どの絵も、静寂が漂っている。人間、動物、植物など、生きているもの、激しく活動しているものを描いているのにも、作品に切り取った時間には、風や光の動きを感じても、音は控えめ。一種のわびしさが漂う。「もののあわれ」の伝統なのか。それとも絵の具の所為か。
その中で、一つ、ジャンヌダルクを思わせる馬上の女性の勇ましい姿を描いた作品に、注目。色の使い方がほかの作品と違った。青という色の鮮やかさ、金色の華やかさ。激しい動きがある。アグレッシブである。新しいものへのチャレンジ?伝統を超越している?でも振り向いている馬の目が、何を言わんとしているのか、物寂しい。題は「気」。目に見えない気を感じようと、しばし見入っていた。
もう一つ、熊野古道の薄暗い石の階段の道の絵の前で、脚が止まった。道は奥へ奥へと続く。この道を歩いた多くの人々の姿が、思いが、溶け込んでいるような。わたしも一緒に歩いているような。うっそうとした木々の中の道は、淡い光を受けて輝いている。心を安堵させる作品である。
あーあ、、こんな作品が居間に飾ってあったら、どんなに心落ち着く日々がおくれるものだろうと思う作品がほとんど。この大きさの作品を飾れる部屋に恵まれていない現実にがっくりだが。
真夏の日差しの公園は、相変わらずの人込み。西洋美術館が世界文化遺産に認定されたので、そのためかと思ったが、西洋美術館を通過してもまだ人の波。この美術館や博物館の多い文化村に外出する人はおおいのだ。
「院展」の切符を頂いたので、疲れない程度にぐるっと一回りして、気分転換してこようと。日本画の公募展である。大作ぞろいだ。大きなキャンバスに、精密な筆タッチ。どの作品も作家の心がこもっていて、一作一作、丁寧に鑑賞しないと、作家の努力に失礼に当たるような気がして、結局全作品を、ゆっくり見て回ってしまった。洋画の影響が大きくなっている日本画だが、すんなり心に入り込み、肩ひじ張らず、ゆったりした気分になるのは、顔料の所為なのか、それとも日本人という文化土壌の所為か。
まず作品を遠くから眺め、作品に近づいて題をみる。画家の表現したかった意図を確認するために。なんとなく意味が分かるような漢字の組み合わせであったり、全く私の辞書にはないような言葉であったり、時には横文字も。それでも絵から湧き出る雰囲気は受け止められる。
どの絵も、静寂が漂っている。人間、動物、植物など、生きているもの、激しく活動しているものを描いているのにも、作品に切り取った時間には、風や光の動きを感じても、音は控えめ。一種のわびしさが漂う。「もののあわれ」の伝統なのか。それとも絵の具の所為か。
その中で、一つ、ジャンヌダルクを思わせる馬上の女性の勇ましい姿を描いた作品に、注目。色の使い方がほかの作品と違った。青という色の鮮やかさ、金色の華やかさ。激しい動きがある。アグレッシブである。新しいものへのチャレンジ?伝統を超越している?でも振り向いている馬の目が、何を言わんとしているのか、物寂しい。題は「気」。目に見えない気を感じようと、しばし見入っていた。
もう一つ、熊野古道の薄暗い石の階段の道の絵の前で、脚が止まった。道は奥へ奥へと続く。この道を歩いた多くの人々の姿が、思いが、溶け込んでいるような。わたしも一緒に歩いているような。うっそうとした木々の中の道は、淡い光を受けて輝いている。心を安堵させる作品である。
あーあ、、こんな作品が居間に飾ってあったら、どんなに心落ち着く日々がおくれるものだろうと思う作品がほとんど。この大きさの作品を飾れる部屋に恵まれていない現実にがっくりだが。