今年も残ったのはたった一日。今日も明日も明後日も、ただ時の経過。何もほとんど変わらないのに、人間が作った節なのに、新年になると、なぜか新しい世界が開けるような。

今年は孫の相手で一年が過ぎたような気がする。孫が3人になり、私がが娘の家に行ったり、私のところに一家が泊りにきたり。とにかく賑やか。静かな時はいたずらをしている。
一家が引き上げていくと、私は探し物に明け暮れる。触られたくないものは隠しておくが、そういうものこそ見つけて玩具にする。書類などどこかに消えているので、ゴミ箱あさりをしなければならない。

6歳と3歳の姉弟がよくケンカをする。他愛のないことで口喧嘩。ところがどうしても言葉では3歳児は太刀打ちできず、最後は髪を引っ張っり、悲鳴があがる。謝りなさいといえば、すぐに「ごめんなさい」というが、心がこもっていない。相手もにらみつけていながら「いいよ」と簡単に許す。お互い大っ嫌いと言ってるのにくっついている。姉弟なのだ。

弟は食べるのが早い。目のまえにあれば何でもパクッ。もっと欲しがる。姉は好きなものは最後に残しておく。ところがこれが弟に狙われる。

この食欲なら、あと数年で弟が姉を追い越すだろうといった時のこと、姉の方が、「その時、おばあちゃんはいないんでしょう?」
「いない?」
「死んでるんでしょう?ひいおじいちゃんみたいに」一昨年、彼女は90歳を超えた父親側の曽祖父の葬式に出席した。年を取ると人間は死ぬことが分かったのだ。彼女にとっては私はいつ亡くなっても不思議ではない老人なのか。言葉を失う。

すると弟の方が、「おばあちゃん、骸骨だ」と叫ぶ。骸骨?!最近骸骨の絵が巷に氾濫しているが、私がその骸骨になる?あまりに視覚的。直接的な死の姿。「死ぬ」と言われた方がまだ気分が良い。

この子たちがどんな大人になっていくのか。社会はどうなっているのか。それこそ骸骨になって、見届けたいものだ。