栄一の転機は突然やってくる。普段からアイデアマンであったこと、また必ず全力投球でアイデア、改革を実現して来たことを将軍慶喜は見ていたのだ。まじめで、明るく、実力のある人は必ず誰かが見ていて、認めてくれるもの。フランス行きを命じられた。慶喜の弟、次期将軍予定の昭武の世話人、相談役と、派遣団全員の雑用・世話役を仰せつかったのだ。当時西欧人は蛮人,夷人、宇宙人のような存在。それに遠い船旅。両親、妻、子供と会う時間もない旅立ち。それでも栄一は即座に自らフランス行きに積極的にのった。その時、慶喜と栄一の二人だけとなり、家康の有名な言葉を二人で唱和する。別離のセレモニーを将軍と。徳川幕府の開祖、家康の有名な言葉である。

 

天下の将軍と、農民から武士に転身し、まだ20代の栄一の二人だけ。天下人と二人。栄一の非凡さ、あの田舎から出てきた若者、まだダンべ言葉が抜けない男が、、。唱和する姿に、私は感動していた。

 

実は私は子供時代、もちろん栄一のふるさと血洗島だ、毎晩、床の間の部屋で祖母と寝ていた。床の間には2本の掛け軸が下がっていて、一本は太字で『天照皇大神宮 豊受大神宮』、もう一本はちょっとだけ細めの文字で4~5行の文字がぎっしり書かれていた『人の一生は重荷負うて遠き道を…』。

 

毎朝、着物を着換え終わって自分の布団をたたんでしまっている祖母に私は起こされ、とろとろしながら今まで寝ていた布団に正座し、掛け軸を2本、二人で唱和する。まだ小学生の私。ちょっと流れかかっている漢字を読めるわけがない。意味だって全部は分からず、徳川家康って誰?って感じで、祖母の言葉を後追いしていた。毎朝繰り返していると、いつの間にか覚えてしまっていた。

 

慶喜と栄一が唱和している姿に、子供時代の自分の昔の姿を重ね合わせていた。何の変哲もないド田舎の血洗島で育ったことが、本当に懐かしい。豊かな思い出がいっぱい詰まっている田舎、懐かしい家族が浮かぶ。