栄一の栄一たる活躍がいよいよ始まる。主君のために,主君の意向に沿った活動を始めなければという気概が強かった。徳川幕府が倒れても、まだ江戸時代の主従関係が、主君がどうあるべきか、従者はどうあるべきかが、多くの人の体中に染み付いていた。栄一は、湧き上がってくるエネルギー、ヨーロッパで得た知識が,体中で湧き上がり,旧習に囚われている人たちを、巧みな説法で説得。いよいよ日本で初めての少額でも良い、資本を出資して起業化に、徳川最後の将軍慶喜が蟄居している静岡で歩みだしたのだ。やっと妻と娘を呼び寄せ、家族らしい生活の基盤を整えた。現在資本主義社会の基盤をなす株式会社を、日本に根付かせる第一歩を歩みだした。


私は親族も血洗島に根付いた人間で、そこで3歳から育ったが、生まれは静岡県。なんだか栄一との縁が見えないところで結びついていたのかと感じる。僭越かな?静岡の記憶は何もないが、血洗島の記憶はびっしりと体に刻みついている。言葉から,繭のにおいから、桑の木、桑の実まで。

 

言葉といえば、ドラマの中で話される言葉、特に語尾の言葉に、時々違和感を抱くことがある。時たま「だんべ」が語尾につくことがあり、懐かしい。実際私が子供時代は、もっともっと「ダンべ」が横行していた。今は老人を除いてほとんど地元では「ダンべ」を話す人はいないだろう。私が子供時代、「ダンべ」をなくし、「でしょう」と言い換えるよう学校で言われ、「あのだんべ」で話始めるのを「あのでしょう」と言い換えた。気取った言い方と、私はかたくなに「あのだんべ」で話を始めていたが、高校、大学に行くにつれ、すっかりダンべ言葉は消えてしまった。

 

栄一のアイデアに多くの旧武士や商人が賛同したのは、彼の実績が大きな説得力となった。フランス滞在中、日本から送られてきたお金の一部を債権と株式に投資し、40万両(現在の400億円?)の利益を得たとのこと。幕府が倒れ、日本から送金が途絶えた時、路頭に迷った日本から派遣され人たちの生活を支え帰国の費用に充てたのは栄一の投資力のおかげだった。彼の律義さが、その儲けのすべてを慶喜に返納したという事実。多くの人が栄一の利財力、正直さ、必ずこの人間に任せておけば、成功するという確信を抱いたに違いない。静岡に渋沢というとてつもない男がいるという評判が駆け巡ったのだ。

 

栄一を引く手あまた。これからどんな活躍をするか、金儲けの我利我利亡者ではなく、どんな信条に基づいて活動していったのか、ノーベル平和賞候補になったとは、彼の経済実践哲学が認められた事実。ますますドラマは面白くなってくる。そして私のふるさとプライドは高くなっていく。