十月に入るとノーベル賞を日本人が何の部門で勝ち取るか、マスコミの下馬評がにぎやか。物理学賞で真鍋氏が受賞決定。おめでとうございます。もしも日本人で初めてのノーベル受賞者が渋沢栄一だったら、彼の名前はもっともっと世間に浸透していたのに。実際第一号の湯川秀樹氏の受賞より20年くらい前、渋沢栄一はノーベル平和賞の候補に、連続2回なっているのだ。当時90歳台で、最晩年。ノーベル賞は亡くなってしまうと候補者にはなれない。候補になった翌年かよく翌年に、長寿だった栄一は崩御している。残念!

 

当時、日本なんて極東の小国。欧米の人たちは、日本についてほとんど関心もなければ、日本も世界から注目されるようなこともない、小国だった。

 

私が若いころ日本から来たと言ったら、「あーあ、香港ね」と現地人(結構知識人)に言われ、がっかりしたことがある。日本が香港の一部とは、遠いアジアの国という認識しかなかったのだ。

 

ノーベル賞を選ぶ人たちが平和賞に遠い国日本の栄一を推挙したとは、彼の福祉関係、平和への努力は、知る人ぞ知る、とびぬけていたといえる。ノーベル賞をもらっていたら、私の高校、大学の友人たちも、「渋沢栄一?誰その人?」というリアクションはしなかっただろうに。教科書に彼の名前は登場せず、受験勉強を勝ち抜いてきた友達の知識の中に、彼の名は存在しなかったのだ。当然、栄一の出身地であり、私の出身地でもある血洗島なんて、うす気味悪いと思われるだけで、私が血だか皿だかわからないように工夫していたのなんて、笑止千万。「皿洗島って、番町皿屋敷と関係あるの?」と聞いた来た友の言葉を覚えている。

 

先日、NHKのニュース番組で栄一はアルメニア人の命の恩人というニュースが流れた。栄一とアルメニア?アルメニアはトルコとの争いで多くの難民が発生、アメリカにたどり着いた子供たちの痛ましい姿に、栄一は何か助けることができないかと奔走し、自分の寄付はもちろん、多額の寄付を集め、送金したのだ。アルメニア人はその恩を忘れてはいなかった。先日、渋沢の末裔にそのお礼を言いに来たとか。そのアルメニア難民の子孫が創業したのがファイザー社。今回のパンデミックを引き起こしたコロナのワクチンを開発したファイザー社。その恩恵を私は2回受けている。ワクチンに感謝。栄一に感謝である。栄一のこの行為が、ノーベル賞にノミネイトされた一つ?