松の内が明けるのを待っていたかのように、突然て一人の女性から電話が掛かってきた。誰?名前を聞いても初めての名。友人の妹と説明され、不審者からの電話でないのにホッとした半面、なんで私に電話をくれるの?そういえば律義に元旦に年賀状をくれた友人からまだ年賀状が届いていなかった。もしかして彼女の身に何か起こっている?すでに起こってしまった?

彼女は私より何歳か年上で、古文書講座の仲間だった。私はいつも彼女と隣り合わせに座ってと、一緒に読み合わせをした。読めない部分を教えてもらう。意味の分からないところを説明してもらう。いつも私が厄介な生徒みたいだった。私は癌の発生で退会したが、彼女は続けていて、時々我が家に、鉢植えの花を持参して訪れてくれた。若いころよく山に登っていたとかで、私と話が合った。

彼女は気ままな独身だった。健康のため毎日早朝散歩をし、その帰り道、ファミレスで朝食をとっていた。しばらく姿を見ないと思っていたら海外旅行に出かけていた。その彼女に何が起きた?

隣駅の近くに住んでいるのに、最近は賀状で近況を知るだけで、「また会いましょう」とお互いに書いていながらあっていなかった。

「実は姉は亡くなっていたんです」の言葉に「えっ?」と絶句。
「昨年の一月末か2月の初めに、亡くなっていました」表現がはっきりしない。
「昨年、いつも通り賀状を頂きましたけど、病気のことは一言も触れてませんでしたよ」
「ええ。元気で、良く歩いていて、足腰は丈夫だから、心配しないでって言ってました。たまたま私の夫が入院手術で、私も忙しかったもので、姉に連絡しなかったら,亡くなってしまって。孤独死でした」

突然警察から電話があって、姉の死を知ったという。急いでマンションに行くと、部屋に入るのを許されず、どういう状態で亡くなっていたのか、原因は何なのか、警察から説明はなく、未だにいつどうして亡くなったのかわからないという。管理人さんがたまっている新聞に不信を抱き、警察に連絡したという。1月24日付けの領収書が部屋にあり、この日までは生きていたのは確か。発見された2月4日までの間になくなったようだ。

「孤独死」いやな響きだ。誰にも看取られず、寂しい、このまま死んでいくのか、苦しいとか思う間もなく、あの世に行ってしまうなら、その死に方も本人にとっては悪くないかもしれない。誰でも死ぬのは一人ぼっち。でも死んでしまったら、遺体の処分に誰かのお世話にならざるを得ない。これは仕方がない。残っている人に甘えるしかない。今年も自分の死に様をいろいろ考える年となろう。友人のご冥福を。