年末、ついに渋沢栄一の死をもって、大河ドラマは終了してしまった。ほとんど毎週、欠かさず見て、血洗島の風景が現れると、「違う違う、こんなに山は近くないよ、こんなシンボル的な樹はないよ」など、テレビに向かって文句を言っていたが、それもふるさとを自慢したい気持ちから発したもの。一年間、楽しみな時間が無くなり、ちょっとしょんぼり。あのいつでも前向きで、世の中大変化の時期を、走り抜けていった彼。来来年、いよいよ紙幣の顔となり、毎日見ることとなるのが、せめてもの楽しみ。

 

徳川慶喜に関する本をまとめたのが栄一の晩年、その末尾に、『男爵 渋沢栄一』と書かれていたが、『男爵?』と首を傾げた。血洗島の子供時代から日常『子爵』さんと呼んでいたからである。いつから子爵?最も爵位について全く無知な私、子爵も男爵もその違いがよくわかっていない。

 

昔々、「バロン・渋沢の親戚」と私は外人に紹介されたことがあった。バロンは男爵というのはわかっていたが、子爵という英語を知らなかった。直近の親戚じゃないよ、すぐ近くに住んでいて、彼の生家は私の遊び圏だっただけよと訂正しようとしたが、結局そのまま。

 

アメリカから船で帰ってきて、その船の中で知り合ったヤンキーのウーマンリブの女性と、彼女の知り合いのスイス人で銀行員の若者を、ひょんなことから日本の銀行を案内してやると、丸の内の第一銀行の本店に連れて行ったことがある。

「血洗島からきました」と受付に言うと、行員が深々と頭を下げ、「お待ちください」。お偉いさんが現れて銀行の上の階の栄一の記念館へ案内され、「こちらがおじいさまですよ」と説明された。親戚から祖父になってしまった。身近な笑顔を振りまくおじいさんから、大偉人であることを実感した時だった。

 

後に従兄にこのことを話すと、「お前は相変わらず心臓だな」と飽きられてしまった。

 

ドラマの最終編を見ながら、私の過去と照らし合わせ、懐かしい気分に浸っていた。