■設計開始

 キャンパス内格納庫に、4年生8名の卒業研究生が集まった。

 木村先生から「LINNET」シリーズの成果を基に、弱点を見直し大幅な性能向上を目指すため、全面設計変更するようにとの方針が示された。

NM-72 EGRET ロールアウト

 

以下、私が目にした開発の状況を説明しよう。

 

先輩たちは、授業で習った設計の基礎知識と専門書を参考に、設計作業を開始した。

まず内外で飛行に成功した機体のデータを集め、古いものから順に表にまとめ、グラフ化した。

 例えば、主翼面積と主翼重量、主翼幅と主翼重量、主翼幅と総重量などの関係だ。

 ピックアップした機体は、SUMPAC、PuffinⅠ~Ⅱ、LinnetⅠ~Ⅳ、Malliga、SM-OX、Weybrige、Liverpuffin、Toucanで、当時飛行に成功し諸元が手に入った機体を中心にまとめられている。データは23項目、最下欄には平均値が書き込まれている。

 高性能な飛行機を設計する場面に立たされると、何をどう決めれば全てを最適にまとめることができるのか、わからなくなる。翼の大きさ一つをとってもそうだ。

大きく作れば必要パワー(飛ぶために最低限必要なパワー)は下がりそうだが、重くなる。安定を良くすれば操縦しやすいが、尾翼などが大きくなり重量や空気抵抗で不利になる。変数は無数にあり、一つひとつをどう決め、どう組み合わせると最適な機体が出来上がるのか。無数に考えられる機体を順に設計し、重量や空気抵抗を積算し、最終性能がどうなるか比べようとすると、無限大の労力がかかる。

それで簡便な方法として、成功した機体の平均値を使う方法がとられる。平均値から外れた値を使う場合は、相応の根拠(たとえば材質変更で軽量化できるなど)が必要となるわけだ。

こうすれば、飛躍的な性能向上はできないかもしれないが、平均的な成功は視野に入り現実的だ。実績機の傾向から逸脱したとき、多くの場合どこかに間違や事前研究の不足が含まれていることを疑うべきかもしれない。

先輩の資料には、「平均」の文字の下に、「EGRET」と書き添えられているから、賢明な方法を念頭に設計を進めたことが読み取れる。

 

このように、各部の設計に入る前に、主要な項目を科学的数値で解析しながら、最適な解決策を見出す手法をO.R.(オペレーションズ・リサーチ)という。これは航空機の設計手法として戦前戦中に米国で編み出された方法である。ちなみに現在普通に使われている表計算の考え方も、同様に編み出されたものだ。

「EGRET」の場合、飛行に成功した機体が次々と現れた時期で、成功機の平均を念頭に設計を進めるべきタイミングであった。

1972年当時、電卓は普及段階前であり、機械式計算機(タイガー計算機)は重く使いにくいので、実際の計算は計算尺か手計算で進められた。そのため可能な総計算量は現在に比べるとあまりにも少ないものであった。

 

■主要項目の検討

 実績機の平均値をベースに描かれた三面図を基に、縦安定の検討などが行われている。

方針として、低空飛行を安全に行うため縦安定を大きくし、必要と考えられた水平尾翼容積から、テールモーメント、水平尾翼面積、同翼幅、同アスペクトレシオなどを定めた上で、縦の静安定係数、揚力傾斜、最後方重心位置、巡航時の水平尾翼揚力係数、離陸時の機首上げ余裕、などが算出され検討されている。

地面を離れるか離れないかに挑戦した「LINNET」では、軽量化のため水平尾翼を小型化し縦安定を最小にする設計とした。  

試験飛行では首尾よく飛行に成功したが、距離を伸ばそうとすると、縦安定不足の神経質な機体は、疲れたパイロットには負担が大きすぎた。

 

■主要構造

 「LINNET」の実績から、主翼は桁にスプルースを、リブなど成形材にバルサを、外皮にはスチレンペーパー(発泡ポリスチレンシート)が選ばれた。

 「LINET」は翼のねじりモーメントを外皮のスチレンペーパーとバルサの枠で持たせた結果、軽量化には成功したが、特定の迎え角以外ではねじり強度が不足しがちだった。スチレンペーパーの剛性はバルサなどに比べ、ざっと1/100程度しかない。

 胴体とプロペラの配置は、「LINNET」では尾部にプロペラを配置したため振動に悩まされたうえ、十分なテールモーメントを得られなかった反省から、プロペラをパイロンで主翼上部に配置し、胴体フレームをアルミパイプ溶接構造から、クロムモリブデンの特注薄肉パイプ溶接構造とし長さも十分なものとした。

NM-72 EGRET 胴体フレーム図

 

■三面図とパート分け

 先輩たちは計算と議論を繰り返しながら、詳細な形状や値を決めていき、8月には主要構造が決定され、基本図面が完成している。

 これと並行して、主翼や胴体、尾翼、プロペラなどのパート分けが行われた。

NM-72 EGRET 主翼

 

■1年間で可能なこと

 商業ベースの設計であれば、多量の計算をこなす補助部隊がついているのだろうが、1972年度の卒研ではすべてを8名の学生でこなす必要があった。

こうしたこともあって、複数のアイデアを検討しながら、細かく最適な機体に収れんさせるには、許されたマンパワーはあまりにも少なかった。

皆でまとめた三面図のスジが良く、学んだばかりの理論による多量の計算結果に間違いがなく、パート間の連絡インターフェイスにも齟齬(そご)がなく、外注先を探し管理し、材料もできれば無料で調達し、飛行に耐える工作を自分たちでやり遂げ、メンバーから選ばれたパイロット役の脚力も十分で、気象条件にも恵まれるならば、さらにこれらを卒業までに成し遂げることができれば、念願の飛行が実現に近づく。もちろんすべてを予算内で仕上げることも必要だ。

そしてこれらを論文にまとめれば「卒業研究・人力飛行機の試作」が完了する。

もっとも、頼りのはずの木村先生は、相談に行けば快く話に乗ってくださったが、あとは口出しされなかった。

 

■成功のための、ポイント①

 最大のポイントは、卒研開始と同時に勉強を始めたのでは間に合わないということだ。

 野球やサッカーで、どこかのチームで活躍しようと思えば「入団して初めてキャッチボールをするのでは間に合わない」ということだ。

 「NM-72」では、後藤博さんがこの役目を担われたように思う。

 後藤さんは在学中結核にかかり一年間休学されたが、このとき持て余した(療養中は、美味しいものを食べ、何もするなと言われた)時間を航空機設計の勉強に費やした。

 航空機は、わずかな重量増加や空気抵抗増加が性能を大きく損なう。それで必要な強度ぎりぎりを狙った設計を行う。

例えば、胴体かどこかで重量増加が発生した場合、そこを支えるフレームを補強せざるを得ずその分重量増加する。さらに重くなった胴体を支えるため、翼の強度も引き上げなければならない。重くなると離着陸速度が増加し許された滑走距離で離陸できなくなるから、主翼面積の増加が必要になる。重量増加は重量を呼び、大きく鈍重な機体となってしまう。

どこかを変更(改善)すると全体へ波及し、あちこちで再計算、再設計が必要になるわけだ。

主翼や胴体、尾翼、脚などといったパートが、担当内部のことだけを考えて設計を進めても良い段階になるのは、全体設計が筋良く固まり、詳細な構造や重量、性能の概要が見通せた後のことになる。

筋の良いプランをまとめるには、部分に偏在した見識、知識では到底かなわない。どこか一部のわずかな変化が、全体の各部にどのように波及するか、偏りなく可能な限り些細なことまで、理論と手触り感をもってその加減を知るという、高度な技術的センスが必要になる。

後藤さんは20歳前後の若い時期に、1年間自由に費やせる静かな時間を手に入れることができた。そしてこの時、夢の実現に向かう素晴らしい時間を持てたに違いないと確信するのだ。

10代半ばから20代前半は、理解が難しい難解なテーマでも、乾いた砂に水がしみこむように獲得できる瞬間がある。

2021年10月 修復中のストーク 科博廣澤航空博物館にて 

 

日大では毎年のように飛行機が試作されてきたが、開発に携わったメンバーの多くは、この「豊かな時間」の中で互いに関わり合い奮闘した。