憂鬱な弥生 | jadevineのブログ

3月は筆者にはあまり嬉しくない月。毎年確定申告期限が近づく憂鬱さと、遠い昔のなごり雪がたまに脳裏に浮かび上がる。季節外れのぼた雪が卒業式のその日、短時間でふり積もり、午後には冷たい雨で消えて行った。そんな見事な自然の演出と共に去って行った大学時代よ。知らなかった、心が壊れても生きてゆけるとは。

 

そんな筆者も個人事業主となって久しいが、それも自分の力でなったわけじゃなく、親から相続で引き継いだものだ。しかしプラマイゼロの相続。つまり、1億数千万の事業ローンを背負ってで物件を相続したので、果たして無事に返せるかどうか、終わるまでほんとに安心できなかったし、大震災でも来れば負債だけが残ってアウトだという不安が常にあった。

 

だから、早期返済を目指して余剰資金で投資にチャレンジもしたが、あのサブプライムの暴落に巻き込まれた。出口戦略を持たない個人投資家なんていいカモだった。大体素人がろくに学びもせずして、先物で金に投資したり、外国為替を始めること自体随分とリスキーな話である。

 

とはいえ、結構あの頃様々なセミナーにも参加していたし、商材で結構勉強もしていた。それでも海千山千の世界で生き残るのは容易ではない。8対2の法則がよく言われるのだが、9割方は損失する世界だ。レバレッジの高い金の先物で逃げ切って得たプロフィットも、為替で掃き出してやむなく損切り撤退した。石橋叩く癖に、どこか山っ気もあるのかもしれない(苦笑)。

 

筆者同様変人の従弟は、株で家一軒買える金額を飛ばしていながらケロっとしていた。またコロナ禍で懲りもせず、空売りして踏み上げられてると言ってたが、どうなったろう。筆者ならもう耐えられない。

 

だが、人生は塞翁が馬。相場で多少痛手を負いはしたが、結果的に繰り上げて完済できたし、また、土地贈与を受けて家を建てたから、人生分からないものだ。それも自分の力では決してないから、何一つ誇れない。誰がどう見たって人生で落ちこぼれてるのに、「何故だ何でだろう~」。

登山家の野口健のように「落ちこぼれてエベレスト」とはいかないまでも、へなちょこの筆者でもあの岩峰、スリリングな立山剱岳は登れたのだ。今はもう無理だけど。

 

 

                

 

人に雇ってもらわなくても、養ってもらわなくても、年金当てにしなくてもいい程度には、神は養ってくださってる。いつも普段着は「しまむら」や「サンキ」の安物がメインだけど、それでも十分。昔は自分で作っていた。

貧乏旅でも世界を巡りたいというのが夢だったが、親の介護や、シリア難民問題、そしてコロナ・パンデミックに阻まれすっかり意欲喪失。溜まったマイルで中欧を巡りたかったが国内を旅した。ワクチン断固拒否派だし、今はスーパートコジラミ(南京虫)の流行で宿も怖いしで、入れ替わりに様々な厄介な問題が現れる。

 

確定申告もやっと終わったので、納めねばならないのは納めるしかない。と同時に神から衣食住等の必要をいただいてることを忘れないようにしたい。でないとイスラエルと同じトレースを行くことになりかねない。神を捨て、他に依り頼むことの報いは怖い。

 

人間は昔も今も、似たような失敗をしてきた。仏教でいうような輪廻があるのだったら、前世の失敗から学んで悟った人々ばかりになるだろうに。輪廻なんてないから、違う世代が先人と同じ轍をまた踏む。その痛い繰り返しの歴史。ジェノサイドも戦争もなくならない。

しかし一番厄介なのが自分自身。結局のところ最大の敵は自分なのかもしれない。

 

ああ、吾もいつになったらほんとに新生したって思えるかな。

 

 

   ルカ20:25 

    するとイエスは彼らに言われた、

   「それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」