どうも。

毎日UPするする詐欺の者です。

 

5月から突然に、横浜中華街愛梨3号店で占うことになりまして、

ずっとバタバタしておりました・・・。

 

リウマチが出やすいので、あまり無理できず、マイペースで仕事をしていたら

もう6月になりそうでびっくりびっくり

 

ブログ全く書かない上に、チャプリの待機も滅茶苦茶で申し訳ございませんショボーン

 

 

 

愛梨は何度か占い好きのお友達の付き添いで行ったりしたお店なので、

なんだか感慨深い・・・。

 

で、横浜中華街といえば、私にとって、

 

たぶんもう、占い業界にはいない師匠との出会いの町。

 

今日はそのお話をしようと思います。

 

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そもそも私は

「自称占いはちょっとできる」マウント客

だったので、

 

中華街の数多の占い館を覗いては

 

「うむ、この人に観てもらいたい!」と、人を決めて占いに挑む感じでした(迷惑&失礼)。

 

ある日、あるお店で男性占い師に観てもらう事になりました。

 

その人が後の師匠となるM先生でした。

 

M先生はお話のテンポも心地良く、鑑定もズバリでドはまり。

そこから友人にはM先生を数人紹介したりしていました。

 

なんやかんやで1年後、M先生は店舗から独立し、自分の会社を持ち、お店を開きたいとのこと。

 

ある日突然、占星術をさわり程度・タロットを教わった。というより習わされ、

ご縁でとあるチャット鑑定から始めることにもなりました(副業になるなら、と)。

 

 

そんな中、

「若い占い師を集めてお店をやるので、あんたもやりなはれ。ホロスコープと手相みたけど、あんたピッタリや」

と突然言われたのでした。

 

この時、私は全く別の、自分の計画で会社を立ち上げるべく、公庫に通ったり、貯金に励んでいた日々。

いやいや、占い師にはなれません、と何度も断っていました。

 

断る理由は他にもありました。

 

先生が段々おかしくなっていたのです・・・。

 

占いの腕は相変わらずですが、ご病気も何度かなさったせいか、だんだん人格が変わっていったように思います。

奥様も大変そうでした。

 

そしてその先生の変化はいよいよ・・

 

私と年の変わらない、元お客さんでお子さん持ちの既婚女性とのロマンスガーン・・

先生はその当時でたしか60歳超え。私と彼女は40前半。

何度も命の危険を乗り越えた先にこれ・・。

 

さらにある日

 

「君、お金貯めてるなら合同会社にしたいからそのお金をこっちに出してくれ」

 

と突然言われました。

 

「君が出資者になって代表社員になってくれ。僕と彼女は広報活動や営業活動に勤しむから!

大丈夫、会社はちゃんと回るようにする。彼女は(とある大手スーパー系)昔のつてもあるし。」

 

そういうと、隣にいた彼女はニコニコしながら

 

「ウフフ!先生の占いを占いコンテンツとして売ろうと思うんです!売り方は・・」と飛びつきとくとく説明。

 

申し訳ないが、先生はちょっと有名なだけでだいぶ有名な人ではない。

先生の占いをとあるシステムを経由して毎日100円で買う人はいないと思われた。

 

「そんなんでお金は出せません真顔

 

「!なんでや!ムキー

 

「売れないからです。これ、絶対に売れません」

 

と断ると、とても不機嫌になった。

この様子も、以前の先生には見られないことだった。

 

彼女の有能ぶりを私に知らしめたい先生は必死になり、

寒くなり始めた武蔵小杉で仕事帰りに呼び出され、彼女のクッソインチキなペンデュラムを見せられ

(指でガッツリこねくり回していた。)、

 

お正月早々新宿に呼び出され、ミーティングといいながらテーブルの下でねちょねちょと触りあう二人。

 

ムカムカとにかくお金は出しません」と断って新宿を去った。

 

 

数日後

 

この彼女から、真夜中LINEで連絡が。

 

「あのぅ。。先生って本当にお金を持っているんでしょうか 滝汗?」

 

突然の質問がこれ。

 

「持っていたら、私にお金出せって言いますかね 真顔?」と答えた。

 

「・・・やっぱりそうなんですかね・・・チーン。」とため息をついた。

 

事情としては、M先生が思いつくままにあちこち営業活動に二人で走ったらしい。その時の交通費やらなにやら

全て彼女が立て替えた(つもり)とのこと。それすら戻ってこない、と。

 

「その辺は知りませんが、とにかくお金はないと思います真顔。」

 

そう伝えた後、彼女はどうやらM先生から離れたらしい。

 

その後別の先生のお弟子さんからもLINEがきて、先生の様子がおかしい等連絡があった。

私もすでに、先生から離れた後だったので、話を聞くだけだった。

 

 

さらにその後、先生のお名前はどこからも聞くことはなかった。

 

何度もご病気されていたので、もしかしたらもうすでにいらっしゃらないかもしれない。

動けないだけかもしれない。

 

私はなんやかんやで占い師に結局なってしまった。

離婚を考えた時、年金やらなんやら正社員になって貯めるのは、最早困難。

 

貯金もキャリアも中途半端な私がおばあちゃんになってもできる仕事は、占い師なんだろうか真顔。と思い始めた。

 

あとは、勤めていた会社での仕事が、いつのまにか請求書発行業務の傍ら、若い子の悩みを聞くことの方が仕事のようになっていた。私に話をしてくれる人がいるなら、これが仕事になればいい、と思ったのでした。

 

「占い師なんてやりません」と反発していた時、

先生が言った。

 

「占いっちゅうんは、(漢字の部首)まだれを外に書けば「店」ちゅう漢字や。どこでも店ができるっちゅうことや。」

 

この一言が、私を占い師にした(単純)。

 

先生は美食家でもあった。

今や長蛇の列を日々作るお店が、ブレイクする前に教えてもらってゆったり食べることもできた。

 

前より頻繁に通うようになり、この町のどこかで、適当に占いでもやってたらいいのに。

 

と思いながら、お店を行き来する日々です。

 

横浜中華街愛梨三号店で、お待ちしております!!

 

あ、もちろんチャプリでも待っているよ!!!!

 

 

愛梨ではREINA だけど、

チャプリはジャクソン姉さんだよ!!!!