ドナルド・ダックから学ぶ近代史 | Nより

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ディズニーのドナルド・フォントルロイ・ダック(Donald・Fauntleroy・Duck),通称ドナルド。
アカデミー賞作品賞に輝いたキャラクターでありミッキーと共に殿堂入りをも果たした人物,ディズニー社のキャラクターで殿堂入りを成し遂げたのはこの2名のみである。総出演作品数はミッキーをも凌ぐおよそ160作品。無論,ディズニーキャラクターの中でトップである。1999年には東京ディズニーランドの主役に上りつめるなど名実共にスーパースターの彼。しかしながら,彼が誕生したのはミッキー,ミニー,グーフィーよりも更に後の事だった。実はあのミッキーの愛犬であるプルートよりも遅かったのである。
そもそもドナルドが作られた理由は当時ディズニーがトーキー(音声有りアニメ)の製作に成功を収めていたにも関わらず,ミッキーのキャラクターでは台詞を多く出来なかった事やグーフィーに対するツッコミ役はミッキーがこなしていたが,やはり主役としての立場やミニーの存在から次第に優等生キャラとなっていたミッキーではツッコミには弱い,また同じ理由でトラブルメーカー兼ムードメーカーのようなキャラクターが欲しいといった理由からであり,非常にサブ的なポジションにしておくつもりでしかなかったのだ。目立たせる気など当初はほぼ皆無だったのである。
では何故そんなドナルドが一躍トップスターになる事が出来たのか。それには第二次世界大戦が大きく絡んでいる。
ドナルドが生まれたのは1934年,ドイツがポーランドに侵攻し,第二次世界大戦が始まる僅か5年前である。既にファシストやナチスが政権を樹立していたり,日・独が国際連盟を脱退していたりと戦争へ向かおう兆しは充分にあった,そんな時代だった。
そこでアメリカ政府はディズニー社に戦争協力を煽るような,もう少し正確に言うなら枢軸国を非難するような作品の制作や兵士募集のポスターに社のキャラクターを使用させる事を要求したのだった。そしてその時,白羽の矢が立ったのがドナルドだったのである。あの攻撃的な性格や海軍に在籍していたという設定がその理由であったと言われている。
即ち,ドナルドをあれだけの大スターとなった背景には多かれ少なかれ第二次世界大戦の存在があった事,それはもはや客観的事実だと言わざるを得ない。確かにドナルドは兵士募集のポスターに使われていたし,ドナルドがアカデミー賞作品賞を受賞した“総統の顔”という作品もドナルドがナチスの工場で働く夢を見てやっぱりドイツよりもアメリカの方がいいと再認識するという非常に政治色の強い内容であった。
言わずもがなだが,日本は当時枢軸国の一翼を担っていた。つまりドナルドというキャラクターは日本を食物にしてのし上がったという見方も可能なのである。だからと言って私はファンやマニアを辞める気は毛頭無いが,ここに書き記した内容は先述の通り客観的事実と言わざるを得ないとも思う。

補足
ドナルド・ダックシリーズ最高傑作との呼び声も高い“三人の騎士”は1945年に公開されています。この事が何を意味するかは敢えて言う必要が無い程に日本人の心に響いてくると思います。
また,ドナルドがアメリカで納税関係のポスターにも用いられたこと,ミッキー,ドナルド共にアカデミー賞受賞回数は1回ですが,ノミネート回数はミッキー4回に対しドナルドが9回とドナルドの方が倍以上多い事も重ねて報告させて頂きます。
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