どんな内容なのだろうと、不思議な思いを持ちながら手に取った本書。
文章がわかりやすく、読みやすかった。
そして、暇と退屈について、このように考えることができるのかと新鮮な視点を提供してくれた。
驚くのが2011年出版でもう13年も前になる。
そして、著者が高校生の時にコロラド州に一か月滞在し、現地のクリスチャンの女の子に聖書の勉強会の帰りに、
どういう考えを持っているのかを聞かれて、「俺はいま自分のフィロソフィーを作っているところだ」と言い、
それが本書につながっているとの下りにはなんとも刺激を受けてしまった。
自分も子供の時にヨーロッパに住んでいた頃、似たようなやり取りをした覚えがあるし、
そこから自分が日本人であること、外国人であること、そして国と自分の関係についてよく考えたことを思い出した。
自分も國分さんのように、自身のテーマを本にしたい気持ちにかられた。
本書の内容といえば、わかりやすく書かれているものの、結論は少し難しかった。
ただ、おおまかにいえば、第二形式の退屈こそ、われわれ人間の「退屈」の本質であり、
それから逃れるために自らを「訓練」し、新たな「環世界」を創造しなくてはならない、ということだと理解した。
つまり、ひとつの「環世界」に定住することなく、移動し続けること。それを怠ってはいけないということ。
自分がこれまでコーチングで度々確認をしてきた自身の安全地帯(コンフォートゾーン)を
広げていく努力をするとの考えに合致する。
そう、國分が言う「楽しむことを学び、思考の強制を体験する」、
ドゥルーズが言う「自分がとりさらわれる瞬間を待ち構える」という訓練を積み重ねることなのだと思う。
本書は、それを退屈の捉え方から再確認させてくれた。
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退屈の起源
- 退屈は人類の定住によって生まれた
- 人間の進歩とともに存在する
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消費社会と退屈
- 退屈しのぎとしての「消費」は現代における特徴
- 「消費」の楽しみには自分を「疎外」し、本来的な生活を追求する姿勢が必要
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ハイデッカーの退屈の三形式
- 第一形式:何かによって退屈する(例:電車を待つ時間)
- 第二形式:何かに際して退屈する(例:パーティで退屈)
- 第三形式:全面的な空虚の中での退屈
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第三形式の退屈と決断
- 全面的な空虚から逃れるためには「決断」が必要
- しかし、決断は第一形式や第二形式の退屈を生む可能性がある
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退屈の本質
- 第二形式の退屈こそ、人間の「退屈」の本質
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気晴らしと訓練
- 第二形式の退屈を逃れるには、気晴らしを楽しむための「訓練」が必要
- 訓練を通じて多様な「環世界」を創造
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環世界の移動
- 人間は動物よりも高い環世界移動能力を持つ
- 新たな「環世界」を創造するための訓練が必要
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「悪の陳腐さ」と退屈
- 第二形式の退屈を無批判に生きることは「陳腐さ」に陥る危険
- 自らを訓練し、新しい環世界に移動することが重要
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退屈を考える意義
- 人生100年時代において、退屈を考えることは重要な示唆をもたらす
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- 退屈の第一形式
電車を待つ時間が暇で退屈だというように、何かによって退屈している状態のこと。思い通りにならない「何か」のために空虚が広がって、時間がぐずついて進まない。 - 退屈の第二形式
パーティに出ているけれど退屈だというように、何かに際して退屈している状態のこと。気晴らしのつもりが気晴らしにならず自分の中に空虚が広がって、時間がぐずついている。 - 退屈の第三形式
なんとなく退屈だ。いわば全面的な空虚の中にいる状態。
