少し変わった本だった。
最後に、本書を書くに至った経緯が書かれている。
筆者は20代前半で自殺を試みたが、死にきれなかった。その経験を経て、以下のような思いに至っている。
「自分の意志の力とはなんなのか? 自分は生かされている。死ねなかった自分を今動かしているのは、本当に自分なのか? ずっとそんな感情を持っている。自分ではどうすることもできない「もっとずっと大きな力」に動かされているだけではないか? そんな気持ちがあった。 心理学を学び続けることで、この思いは強くなり、今では確信にも似た感情を抱いている。それは神ではない。この世の真実というべきものだ。」
この思いを起点に、心理学的にも、人生に自由意志など存在せず、
命や意識の本質とは情報にすぎず、自然法則に従っているのだと考えている。
ただし、筆者はその事実をもって「頑張る必要がない」と言いたいわけではない。
本書には明確なメッセージがあるわけではなく、そのことを筆者自身も認めている。
しかし、自然法則によって生かされていることを受け入れ、
世界の全体像の中で自分を捉えることができれば、周囲に惑わされず、
無駄な反応をせずに人生を送ることができるのかもしれない。
- 「心理学的決定論」は、全てが予め決定されており、人間の自由な選択は錯覚であるとする心理学的視点。
- 本書は、著者が自著を「トンデモ本」と表現し、読者に心理的な「先制パンチ」を与える。
- 「心理学的決定論」の要点は、全てが決定されているという理論を理解できても、実感としては理解し難い点にある。
- 「決定論」は、カルヴァンの「予定説」と類似し、神によって人の運命が予め決定されているという思想。
- キリスト教内でも「予定説」は批判され、人間の努力を否定する抑圧的な思想として捉えられた。
- カルヴァン派の牧師は、「神は努力を見て救済を決定する」と解説するも、完全には理解できていなかった。
- プロテスタンティズムの倫理に基づく資本主義の発展をマックス・ヴェーバーが指摘。
- 決定論は近代以降、「神なき時代」では抑圧的な世界観として批判されるようになった。
- 著者は「決定論」に対しても希望を失わず努力を続ける姿勢を強調し、読者の不安に配慮。
- 多くの人には、決定論を受け入れても「自然体で生きる」ことは難しい。
- 人間は「決定論」を実感的に理解できず、理論的な仮説として受け止めるのが限界。
- 「人間の意識は後付け的な情報構造」と説明も、「心理学的決定論」が実感されにくい。
- 「心理学的決定論」を信じることは難しい。どれだけ証拠があっても理論的に捉えることしかできない。しかし、考慮すべき仮説である。
