加賀乙彦氏については、日経の土曜版に出てくる「読書」欄でどなたかが言及されていた気がする。
沼野充義氏も同氏の書籍を取り扱っていた気がする。
そのため気になって、いくつかある書籍の中から、読みやすそうな本書を手に取った。
東大医学部を卒業し、精神科医としての実務も経験。
フランスにも留学し、フランスで精神科医として勤務もした。
いわゆる秀才中の秀才だが、学生のころからとてつもない量の本を読み、
その蓄積もあって、医師から作家に転身されている。
そんなすごい経歴の人が書く本ということで、気になっていた。
本書の出だしから、最近の日本の犯罪が凶悪化していることの記述があり、
それ自体、特段のデータも出さずに印象論で語っていたように感じ、
なんともプロフェッショナリズムが欠けているように思えてしまった。
早々にそういった悪い印象からスタートしてしまったのが残念だが、
それでも精神科医としての実務経験を経て得られた知見、
特に犯罪や自死をした人たちとのやり取りから学んだことはとても印象に残り、勉強になった。
そして、それらの記述は髙村薫 (著)の「冷血」を思い出させた。
犯人は普段はふつうの人だし、そして、その人がなぜそのような凶悪な犯行をとってしまったのかと問われても、
「自分のとった咄嗟の行動に理由なんてない」として答えられないのだ。
犯罪や自死をした人たちが直面する「悪魔のささやき」の分析にとどまらず、
それを踏まえて、人間としてどのように生きるべきか、
或いは「悪魔(流されること)」を避けるためにはどうすべきかについても語ってくれており、
いずれも色んな書籍に登場するポイントではあったものの、自分にとっても良い確認になった。
本書を読めてよかった。同氏の別の書籍(小説)を読んでみたい。
- 日本人の気質と「空気」への流されやすさ:
- 日本における「和」の精神は、協調性がある反面「自分がない」状態を生みやすい。
- 強い意志や指示、時代の空気に流されやすく、集団の意志や権力に動かされやすい傾向がある。
- 聴覚(声)の受動性と精神医学的側面:
- 犯罪や自死の直前に感じる「悪魔のささやき」のように、人は得体の知れない力に「声」で動かされる。
- 聖書のエデン追放の場面でも神や蛇の姿は描かれず、声のみが登場する。
- 統合失調症の被害妄想も視覚より幻聴から始まる。自由のある視覚(見たいものを見る)に対し、聴覚はすべての音が強制的に入るため自由がない。
- 統合失調症は人間関係が複雑化した「文明社会・現代の病気」であり、その治療法は確立されつつある。
- 「悪魔(流されること)」を避ける5つの方法:
- その一:視界を360度に広げる。自分の身の回りだけでなく、広い視野を持つこと。ただし、自分に都合のよい情報だけを選ぶ「個人内情報操作」に注意する必要がある。
- その二:世界の代表的な宗教の教典に目を通す。
- その三:一日一日を最後だと思って全力で生きる(※作家・水上勉の、毎晩棺桶に入るつもりで眠り、翌朝の目覚めを感謝する生き方)。
- その四:自分の頭で考え、自分で選択して行動する。なんとなく流されるのをやめ、物事の経緯や理由を自分で調べて納得した上で行動する習慣をつける。
- その五:確固とした人生への態度を持つ。状況にのまれず、自分を引き離して自覚的に生き方を選択する。他人の意見に同調せず、豊かな人格を育むことで自分の意見を持つ。
- 「個」の確立と教育・社会の大転換:
- 学校や企業中心の考え方から、個人の自由や幸福を目指す方向へ転換すべきである。
- 勉強や仕事ばかりの状態から脱却し、子供の頃からたくさん遊ぶ中で自分の好きなことや趣味を見つけることが、「個」を育てる第一歩となる。
- 幅広い読書で思考を整え、馬鹿にされたり失敗したりする経験を重ねることで、初めて独自のパーソナリティ(人格)が構築される。
- 個人主義の先達と教養小説の意義:
- 夏目漱石の個人主義: 「自己本位」を大切にしながら、同時に他人の個性も尊重する。
- ヘンリー・デイヴィッド・ソロー: 森での自給自足生活を通じ、国家が個人の自由や良心を左右できないことを明言し、物質文明を批判した。
- 教養小説(ビルドゥングスロマン)の推奨: 登場人物が模索し成長する姿を描いた長編小説を読むことは、自分の生き方を見定め、はっきりとした個人主義を確立するための参考となる。
- 国内の例: 『暗夜行路』(志賀直哉)、『夜明け前』(島崎藤村)、『迷路』(野上弥生子)など
- 海外の例: 『ジャン・クリストフ』(ロマン・ローラン)、『魔の山』(トーマス・マン)、『チボー家の人々』(デュ・ガール)など
