さっと読めてしまうので、ついつい手にとってしまう「100分de名著」。

しかも、題名が「幸せについて考えよう」とあって、気になってしまう。

 

四名の共著。島田さんと西さんはよく「100分de名著」にも登場されるし、

何冊かそれぞれの本を読んでいることもあって安心感がある。

 

浜矩子さんは極左の印象あり、どんなことを言い出すのかと心配した。

そしたら、経済学者らしくアダムスミスを取り上げる。

あの有名の「見えざる手」が往々にして誤解されているとの話は、なるほどと思えた。

あの有名な「見えざる手」がしばしば誤解されているという話には、なるほどと思わされた。
アダム・スミスは「市場原理が素晴らしい」と言いたかったのではなく、
国家による経済活動への介入(重商主義)を退けたかったのだという。
つまり「市場に任せろ」ではなく、「国家の見える手はいらない」というニュアンスだ。

 

そして、人と人とを結びつける経済活動は「共感を確かめ合う場」であり、
それこそが幸せの一つの側面だと説く。

なんだ。普通のことを言っているではないか、と安心した。

 

浜さんを含めた皆さんの話を通しても、
結局のところ、幸せとは人との関係性の中に感じ取られるものだとまとめられる気がする。
周囲の人を愛するという積み重ねの中で得られるものであり、
そこにはそれなりの意識と努力が必要なのだと思う。

 

というわけで、本書の著者の一人でもある鈴木晶が訳した『愛するということ』が
いまだ積読のままであることを思い出し、読まねばという気持ちにさせられた。

 

 

 

 

  • 「幸せとは、自分の生に対する肯定である」
  • 人がなすべき仕事は結局のところ、三つに集約される。生まれてくること、死ぬこと、そして、そのあいだに愛すること。
  • 「いい仕事をしている」という「評価の承認」ではなく、駄目なところも含めて、ただ「あなただから好きなのだ」と言ってくれる。これは「存在の承認」といえます。こうした次元がないと、人生は満ち足りないだろうと思います。
  • 「愛されることではなく、愛すること」
  • 「人に情けをかけると巡り巡って自分に返ってくる」
  • 身の回りの人、好きな人との関係性をきちんと築いて、まずは自分の親しい人を愛することから始めればいい。
  • 私が「幸せとは何か」と尋ねられたら、こう答えます。 「愛する人が幸せでいること」である。