遠藤周作は、フランスに留学していたという文脈で興味を持っていた。

まだ、読み終わっていないが「沈黙」を少し読んだり、本書を読んでようやく理解したが、

その生い立ちから、キリスト教をテーマに生きてきた人であった。

 

本書は短編集であり、その中でも4作目にある「影法師」が印象的だった。

この話は遠藤周作の実体験だったのだろうかと気になった。

 

両親が離婚し、母親と一緒に暮らす「僕」。

離婚をきっかけに母は信仰にのめり込む中、母の視線の先に清潔感溢れるスペイン人の青年神父がいた。

神の前に律した生き方を貫こうとする母と神父に反発心を抱く「僕」。

「僕」はあえて怠惰に生きようとする。次第に学校の成績も落ち込む。

「僕」に対して危機感を募らせる母は、母が理想とする神父が運営する神学校の寄宿舎に入れて鍛えなおそうとする。

寄宿舎の生活では、完璧な身なりと振舞いを神父は実践し、それを「僕」にも求めてくる。

理想に向けて強く生きる神父についていけない。

そして、「僕」は肉体的・精神的にも耐えられず寄宿舎を去る。

 

神父の期待に応えられなかった「僕」は母の死に目にも遭えない。

母の死後、父と暮らすようになった「僕」は神父に手紙を送り続ける。

「僕」を受け入れてくれなかった神父を嫌悪しつつも、

母が慕っていた彼と繋がることで、母を裏切った自責から逃れようとしていた。

 

その後、「僕」は結婚相手と出会う。彼女はキリスト教に入信する。

半ばそれは神父のいる教会で結婚するため画策されたものであった。

「僕」は神父と再会するも、以前の神父からは様子が変わったことに気づく。

神父に女性問題の噂が聞こえはじめる。やがて神父は教会を去り連絡は絶たれる。

その後、寄宿舎で見ていた彼の精錬な身なりとは打って変わった姿になり果ててしまった彼を街中でみかける。

その後ろ姿に「僕」は、人生で出会ってきた「影法師」=弱く悲しい眼をした者の姿を見る。

「僕」は、元神父はもはや自信と信念に満ちた人間ではなく、

昔自らが捨てた「僕」の犬のような弱い者としての眼を持つ人間になったのだと感じる。

 

自分が信じていたものが裏切られたとの気持ちがよぎる。

しかし、そこに人間の弱さや、神父が個別に抱えていたかもしれない事情に思いを馳せたりもする。

人の行く末も、自分の気持ちも、うまく結論づけられぬまま日常は続く。

ただ、そこに母への愛はあり続ける。

 

複雑な人の人生と思いをリアルに描いていて、とても引き込まれた。

 

 

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