以前に本でも読んだことがあるが、
ケベックに向かう車の中でオーディブルで聴いた。
ナレーションが 大沢たかお でとても聞きやすかった。
そして、やっぱりとても好きな本だった。
なぜ走り続けるのか。なぜ走り続けられているのか。
これまで走り続けてきて、どんなことを感じてきたのか。
走るきっかけは単に健康維持だけだったかもしれないが、
続けていくうちに、自分の目標となり、
自身を磨く営みとなり、過去の自分を乗り越える取組みになる。
それを長期的に継続することは、
目に見えて意義のあるものではないかもしれない。
だけど、価値のあることだと信じて続けていく。
海外の様々な場所に行っても、それぞれの場所で走る。
どれも自分の価値観に合っていて、終始頷きながら聴いていた。
そして、アテネでも走った話を聞いて、自分もぜひ走りたいと思った。
- 継続すること - リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気をつかっても気をつかいすぎることはない。
- 昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。
- 腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。 悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。
- 忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。 僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。
- どんなに走るスピードが落ちたとしても、歩くわけにはいかない。それがルールだ。もし自分が決めたルールを一度でも破ったら、この先更にたくさんのルールを破ることになるだろうし、そうなったら、このレースを完走することはおそらくむずかしくなる。
- それはやるだけの価値のあることだ(少なくともやらないよりはやった方がずっといい)と信じている。そして、ずいぶん平凡な見解ではあるけれど、よく言われるように、やるだけの価値のあることには、熱心にやるだけの(ある場合にはやりすぎるだけの)価値がある。
