私は名古屋市に生まれた。生まれて早々に奈良県生駒市に引っ越し、その後は大学入学まで外国に住んでいた。そんなことだから、あまり名古屋自体に愛着があるわけではない。
外国はヨーロッパに長く住んでいたこともあり、スポーツといえばサッカーだった。
特に中学・高校で住んでいたバルセロナでは、バルサの本拠地スタジアムである Camp Nou (カンプノウ)の近くに住んでいた。バルサがゴールを決めると、家まで歓声が聞こえるような環境だった。
また、小学生から中学生の時ぐらいまで、土日は公園でよくサッカーをしていた。公園の周りに住む子供たちがいつも決まった時間に集まりだして、チームを作って思いっきりサッカーを楽しんでいた。そんなことで、小さいときからサッカーはやるのも、観るのも大好きだった。
転勤族だったこともあり、自分のサポートしたい好きなチームが中々定まらなかった。応援しようにも、今のように簡単に試合結果や選手情報が手に入らず、雑誌を買わないと最新情報にありつけず、そこまでモチベーションが沸かなかったというのもあった。
そんな中で、小学6年の時にJリーグが開幕する。オリジナル10 (発足時に加盟した10クラブ) に自分が生まれた名古屋のチームがあった。イングランドのリネカーが所属していたことや、開幕戦からアントラーズにボコられて、その後もずっと成績が低迷しているグランパスが、色んな意味で気になる存在だった。海外に住んでいたので、直に情報に触れることはできなかったが、父親が家に持ち帰ってくる日経新聞のスポーツ欄でグランパスの試合結果を見るようにしていた。
自分が中学3年ぐらいのときだったか、当時住んでいたバルセロナでJSTVという日本の衛星放送が観れた。そこで、運よく名古屋グランパス対浦和レッズを放送してくれた。グランパスとレッズはJリーグが開幕してから最も弱い2チームという感じだったので、よくそんなカードを放送してくれたものだ。
その時のJリーグはリーグ戦でも引き分けでは終わらずにPK戦までやるというルールだった。そして、ちょうど見た試合がPK戦まで行って、キーパーまでがキッカーになる激戦となり、最後グランパスが勝ったという試合だった。これもきっかけとなって、そこからはグランパスが「心のクラブ」となり続けている。
大学で日本に帰ってきてからは、大学生活を所属していたテニスサークルで満喫していたこともあって、あまりJリーグ、そしてグランパスに意識が向かなかった。社会人になってから少しずつ観るようになり、実際にスタジアムにも足を運ぶようになる。そして、2010年にJ1初優勝した平塚競技場は現地観戦し、優勝を目の当たりにした。
ストイコビッチや闘莉王のような個性的で面白い選手、腰が痛かっただろうに長く前線で活躍してくれたケネディ、まるでシャビのような活躍をしてくれた田口泰士は本当に大好きな選手達。主力選手だった望月、大岩、平野がクラブや監督と揉めて突然解雇されるなど、話題に事欠かず、ネタ提供の面でも大変サポートのし甲斐があるクラブであり続けてくれた。
今は本当に便利で、スカパー、そしてその後ダゾーンで好きな時間に試合を視聴することができ(値上げが続いて、お財布的には大変ですが)、今でも全試合を視聴している。トヨタ様のおかげで他クラブに比べてお金をたくさん使ってくれるものの、2010年以降なかなか優勝に近づけず、それも相変わらずグランパスらしくて愛らしい。
このように心から好きと思えるクラブが自分の中にあって、とても感謝している。そして年をとっても自分はきっとグランパスの試合を観ることを楽しみにしていけるだろうと思っていて、とても幸せなことだと改めて感じている。
グランパス、いつもありがとう!これからもよろしく!
