私はとても幸せな環境と自然が与えてくれる福音にズッポリと浸りきった毎日を過ごしその恩恵を存分に味わう。

 夜明けの陽の兆しに十分浸って幸せを感じてとても言葉にはならない幸せを感じる。

 日の光、小川のせせらぎ、小鳥の囀り…真冬の季節には肌を突き刺す寒気を直に肌で感じ早春には木立の緑が芽吹き、夏は厳しい日差しを背に受け、極暑を絶えぬき、紅葉の季節には色とりどりの木々の息吹きと共に季節を満喫しながらの山窩生活…

 生きている事の証を確かめながら野鳥、そして野生の動物たちとそして全ての生き物の中で私はその生きがいとして季節感を受け止め、大切にし、野生の動植物と共に生きる。

 それが本来の人間に社会生活なのだが、日常生活体が余りにも壮絶な勢いで変化し過ぎているのでとても私は躊躇しているのだ。

 毎日の取り上げる写真からも其の雰囲気は受け止めて頂けていると思います。

 同じところに住んでいても毎日が変化に富み、毎日の光景も変化し目を見張る所があるのです。

 同じものでも季節によって全く別物でもあり、違ったものにも受け止める…

        

 同じ日の出を見ても季節によって、気候にもより、温度、その背景、雲の変化にもとても視覚からも違いを感じる。

 風の強弱や気温と雲、そして日の出具合にもより変幻自在、勝手に変化してくれる、それがとても面白い発見にも繋がるのだ。

 何の変哲もない自然の風景だが私の5感がその時折違って見えてとても不思議だ。

 今、この時間・感触・風景・見た目や肌からの感じ方は二度と味わう事は出来ない。

 生きている事をシミジミ味わう時は貴重な時間でもあり大切にしていきたいといつも感じる。

 生きている事の悦び、怒り、悲しみ、哀れみ…常にいつも体一杯に受け止め、生き抜きたいのです。

        

 蝋梅も当たり前の様に香り、やがて間もなく蕗の薹、土筆、野蒜、梅のかほりもして来そうな気配が漂う…

 気温は確かに未だ低いが、自然界の時間中で生きている動植物は決してサイクルは忘れないし間違いなく正確に繰り返しているのだ。

 ヒトの欲徳や金銭の有無にかかわらず…外風に左右されず正々堂々自然を書き換えているのだ。

 素朴の中の自分に還り、生きている事の慶びを今もこれからも味わう事の安堵感を抱き、命の洗濯をしつつ、健康で悔いのない人生、余生を貫いていきたいと思っている。