たまには電車を乗り間違えてみる
地方都市に住んでいると電車で座れるのは当たり前、な生活に慣れてしまう。ただ、たまに都会(?)のお客様のところに行かねばならないことがある。そうすると満員電車に乗らなきゃいけなくなっちゃう。私はこれが苦痛でならない。今日もA駅からB駅まで行って、そこで乗り換えてC駅まで行って、またまた乗り換えてD駅まで戻ってくるというミッション(?)をこなした。A駅からB駅までは座れるのでそれなりに気持ちよく帰ってこれるのだが、B駅からC駅までの15分は通勤ラッシュが重なっていつも満員。たかだか15分のことなのに苦痛で苦痛で仕方なく、B駅にマンションの一つでも買っちゃおうか、と毎度、毎度、妄想する。とりあえずやることもないので音源でも聴いて気持ちを紛らわせながら、よれよれでB駅まで戻ってきて、這う這うの体で電車を乗り換えてC駅へと急いだ。10分ほどして、見慣れた景色が目に入ってきた。ん?ここ、どこ?!なんと私は、折角B駅まで戻っていたのに、何をどう間違ったらこうなるのか、再びA駅に戻っていたのだ。マジか?!疲れが一気に倍増した。人間、追いつめられるとすがれる「藁」を探しまくるものなのだろう。そういえば、先月は気付いたら駅についてた!ぐらいな勢いで、ご機嫌に帰ってきてたな…なんでだろう?!と記憶の糸を手繰り寄せる。あぁ、そうだ!イヤホンを持って出るのを忘れたのでiPadでKindleを調達して本を読んでたんだ!マンションを買うより断然安くコスパもいいので(笑)慌ててKindleで軽く読めそうな本を調達した。そうしたら、あら不思議!本当にご機嫌に事務所まで戻ってくることが出来た。先日読んだ本に、とても興味深い記述があった。ちょっと長いがここに引用する。「脳は毎秒、四億ビットもの情報を処理しているが、 そのうち意識的に処理される情報は、わずか2000ビットである。 残りの情報は意識にものぼらない。 つまり、脳に毎日送られる情報のうち、99.9999%は あなたの知らないうちに処理され、消えている。」私は満員電車の臭いだったり、夜の車内の光だったり、空気感だったりが苦手だ。けれども本の面白さが勝って不快感は「不必要なもの」として脳が私の知らない内に処理して、消してしまったのだ。これって凄いことだな、と改めて思った。私達はともすると苦痛に全力でフォーカスしようとする。もうすでにそこには物理的に何ら自分を苦しめるものなど存在しないのに、脳内で追体験をし、なんだったらもっと劇的に過剰演出なんかしちゃってドラマチックに悲劇を装ってみたりする。もちろん、そういうときがあってもいいとは思う。頑張る気力がどうしても湧かず負のループの中に沈みこまざるを得ないことだってあるんだろうと思う。ヒトは常に体力・気力が万全とはいかないから。けれど、自分の中に幾ばくかの力が眠っているのが分かっているならあえて別の楽しげな刺激も一緒にぶち込んでみるのも一興かもしれないな、と思った。風と共に去りぬの有名な台詞、"after all, tomorrow is another day!"は私の大好きなフレーズの一つだが、翌日まで待たなくてもヒトは案外、簡単に違う局面を迎えることができるのかもしれない。99.999%は捨て去られるという事実は私を安心させる。意思と意図を持って入力すれば案外、自分の観念など容易に書き換えられるのではないか?そういう日々の積み重ねで、なりたい自分に作り替えることも不可能なことではないのかもしれない。そう思えるだけで、目標に一歩も二歩も近づいた気がした。ブラボー!たまには電車の乗り間違えもいいもんだ(違)