眼科とキムタク
昨日に引き続き眼科へ。今日は緑内障の検査。これで合っているのかどうか、正解が分からない状態で粛々と進んでいく。看護師さんにとっては普段の業務でも患者にとっては初めての体験。過剰なほどゆっくりを心がけて喋っても罰は当たらない。聞いている方は、案外、自然に受け取る筈だ。後、どういう目的で、どのような検査をするのか、は事前に教えておいてもらえたら良かったな、と思った。9月に行われた北海道合宿のときに、熟練した有能な工事現場監督は作業工程の中で、どこが忙しくなるのか、それはいつなのか、どれほど続くのか、を事前に現場の人に的確に伝えることが出来る、という話を聞いた。これは誰にでも出来る芸当ではないらしい。そのように前もって伝えられていたら、現場で働いている人々は事前に色々なことに対応することが出来る。すなわち、自分の精神や身体、生活の段取りが前もって組める、という訳だ。そうやってオーガナイズされた現場はだいたい皆が一致団結してチームとしての良い連帯感が生まれるのだという。自分がこれから向かおうとする工程がどのようなものであるかが分かっていることで自分の中に安心感がうまれるのだろうが、その安心感は心の余裕となり、他者への配慮が生まれるのかもしれない。別に1時間程度の検査で、患者である私と看護師さんとで連帯感を共有する必要はないのでこんな話を持ち出したりして大袈裟な…と思われる向きも多いであろう。いや、ね、かく言う私もそう思ってるけどでも、今日みた我らがキムタクのドラマ「グランメゾン東京」でやっぱりステキなキムタクがさらっと(でもホントはめっちゃリキ入れて)語った台詞がアタマに残ってたもんで、ついつい、話を大きくしてしまったんだ最初からのメンバーなのに、下準備や後片付けばかりを任されて厨房に入れてもらえない青年が一度は腐りかけたけれど、ぐっと耐え、奮起し、陰で努力を重ねる。やがて、自分なりに自信がついてくると自分の実力を認めてほしくなるもの。けれど実際はまだ一人前には程遠い。そして、当人だけがそのことに気づいていない。空回りしてしまった青年に対して、キムタクが以下の言葉を発す。「おまえが陰で努力しているのは分かってた。 でも、そんなの、当たり前のことなんだよ。 いいか?! お前がいる店は、三ツ星狙ってる店なんだよ。」私がやっている業務は多分、全国の税理士がやっている業務と「文章にすれば」同じだろう。でも、漫然と仕事を行っている税理士と三ツ星狙っている税理士がいたとして、それは本当に同じ業務なんだろうか?意識の違いがもたらす差異は、想像以上に大きい。例えばスタート地点での角度1度の方向の違いだったとしても、それが10キロ先になれば、もの凄い距離の違いになる。どこを見ているか、は非常に重要なのだ。私は研修フリークか?!と自分でも呆れるほどに研修に出かけているけれど、その一つ一つを絶対にモノにしてやる!といった執念をもって受けているだろうか?問うまでもなく、NOだ。だから変わらない。シェフであるキムタクは先の台詞の後、こう付け加えた。「料理、なめんな!」ドラマの中の青年に向けられた言葉ではあったが見てる私が、思わず「すみません…」と口にした。「仕事、なめんな!」である。さて、私の目だが、結局、緑内障の心配はないらしい。ただ、「継続して6ケ月ごとに検査をしておいた方がいいですね」とは言われた。そしてお会計。3,500円ほどを支払う。「お大事に!」と声をかけてもらって短い眼科生活を終えた。まぁ、普通、そうだよね…、と思いながら医院を後にする。実は昨日、私はドライアイの目薬を処方されている。ドライアイを患っているからだ。目薬は2本処方された。防腐剤が入っていないので、開封したら、使用期限は1ケ月らしい。ということは、最長2ケ月分の目薬を処方してもらったことになる。元々患者本人(私)は、自分がドライアイだと気づいていなかった。2ケ月後、まだ自分にはドライアイの症状があるから眼科に行った方がいい、もしくは、もう症状が十分改善されたから行く必要はない、と判断できるだろうか?緑内障の症状はなかった、と言われた。なぜ、緑内障の可能性があると医師が判断したのか、イマイチ理解していない。気休めで受けさせたものなら構わないが、それなりに心配な点があってのことならやはり6ケ月後に検査を受けるべきだろうが6ケ月は長い。自覚症状のない患者が覚えていられるだろうか?ましてや6ケ月後に来てください!と強く言われた訳でもない。再び患者自らが予約を入れて医院側に「なんで来たの?」と言われた時に「緑内障の検査でーす きゃはっ」と言えるだけの心臓の強さが患者に求められる。ハードル高いじゃーん私が今日、お世話になった眼科はいい眼科だと思う。次も何かあったら、この眼科を選ぶ。先生も、看護師さんも、受付の方も皆さんとてもいい対応をしてくださった。何か問題がある訳ではない。ただ、三ツ星を狙うってどういうことなのかな?と考えていたのでこんなことを考えただけだ。他者は自身の鏡だから。選択権は患者にある、という考え方は正しい。だから最後の最後は患者が決めればいい。けれどその前にもう少し何らかのアプローチがあったんじゃないだろうか?医院が何のために存在するか、を真剣に突き詰めていれば、何らかの違いがあったんじゃなかろうか?ほんとは、ね、別にこの医院のことをとやかく思っている訳じゃない。医院を例にとりながら自己のことについて考えていたのだ。医院をもう一人の自分として客観的に眺めていた、と言えばお分かりいただけるだろうか?だから私が三ツ星狙っている税理士ならイチイチ立ち止まらなかった。三ツ星を狙っているのだもの、そりゃ、自分の成長に精一杯で他者の欠けている部分についてはそういう考えやスタンスもあるよね、程度で捨て置いていた。自分が口ばっかりで相変わらずぐだぐだのダラダラだからキムタクの言葉を痛いと思い、眼科の対応と自身の仕事ぶりを重ねたのだ。眼科の皆さんにとっては大迷惑な話だw。毎日、掛け声ばっかり勇ましく内実が全く伴ってなくて何とも居心地悪い日々を過ごしている。それでもここで折れて掛け声すら発することを止めてしまえばそれこそ詰んでしまう。だから「また、掛け声だけじゃん…」と思っても懲りずにかけ続ける。どんどん居心地が悪くなったらいいんだ。北風と太陽の変形バージョンだ。掛け声かけ続けて居心地の悪さがピークに達したらきっと洋服だって脱いじゃうに違いない。吉兆の女将のごとく、ずっと自身にささやき続けてやる。