【ザ遺言〜第九の遺言「アートを発揮する」】

 

人間56年、

いろんな仕事をしてきました。

あるコールセンターで教育係をしていた時、

もちろんみんながコールできるように

教育するわけですが、

 

できるひと、

できないひとが出てきます。

 

できない人は

何かサボっているわけでなく、

熱心にやりますが

なぜかできないみたいです?

 

ただできない人も

全然違う分野では

力を発揮する人がいました。

 

なるほど、

得意や苦手は人それぞれです。

苦手を苦しんで克服し

「みんな同じようにできる」より

自分の得意を楽しんで

もっと伸ばせばよいのでは?

と考えるようになりました。

 

暗い気持ちで会社に来るより

楽しい気持ちで会社に来て

もらった方がいいじゃないか!笑

 

思えば

才能の発揮って

いろんな方法があります。

絵を描く

歌を歌う

歌を作る

モノを作る

文章を書く

詩を書く

走る

飛ぶ

踊る

ボールを追う

エクセルで作表する

花を活ける

映像を編集する

お茶を点てる

人の世話をする

etc‥

 

あなたはどんな得意がありますか?

なぜあなたはそれが得意なのですか?

 

これらは極めたり楽しめれば、 

その人それぞれのアートです。

もしあなたが

いなくなったとしても

アートは残ります。

 

関わった人の中に

作品の中に

記録の中に

人の心の中に

それは「癒しの形」でもあります。

あなたが得意なこと

やってみたいことを

カタチとして残すことは

自分と誰かを

癒す力があります。

 

互いにつながり

人の心を楽しむことができるはず

自分が何が得意で何が

できるかわからない人は

 

「人に聞いてみよう」

 

それも専門家でない人に、

おもしろい返事が返ってくるかも。

 

そしてその力試しに

「人を手伝ってみよう」

 

人との関係で

「役割」に気がつき、

「運命」が見えてきます。

それはあなたの「アート」なのです。

【ザ遺言〜第八の遺言「傷つくことを承知する」】

 

京都と仏教とキリスト教に興味があります。

 

「愛」と聞いたらよい意味だと

思っていました。

 

キリスト教はそういう扱いです。

「無償の愛はよいもの」

 

仏教では「愛」は良い意味では

使われていません。

渇愛と言って「執着」のたぐいです。

 

近づいてはいけない

煩悩だそうです笑

 

どちらが正しいと言うより

「愛」って言葉も二面性があります。

 

愛するということは

究極、いつか自分が傷つくことです。

なぜなら

死を始めとして

愛したものを必ず失うのが人生、

それは苦しみです。

 

逆に言えば

苦しみは自分の「愛」の形であり

また生きている証明でもあります。

 

生きることは手放すこと

自分への期待や夢ですら

手放す必要が出ます。

 

傷は完全に治ることはないけど、

心は傷つけばつくほど

強くなりタフになります。

 

「自分は不完全である」に向き合うと、

その欠けている部分こそが

あなたをあなたにしているものだと

気がつきます。

 

傷つくことは避けられないけど

癒される方法はあります。

 

傷の痛みは分かち合うと

あなたの痛みは

私達の苦しみでもあります。

 

自分は「個人」であると同時に

全体の一部だからです。

 

自分の時間を相手に捧げるとき、

悲しい思いをしていた人を

笑顔にできたとき、

その人は健全です。

 

与えることは生きることです。

 

【ザ遺言〜第七の遺言「聞くことは愛すること」】

 

東北が大好きなジャックです。

7〜8年住んだことがあります。

 

八甲田山とか

岩木山とか

岩手山とか

八幡平とか

奥入瀬とか

 

当時は

その自然の雄大さに

日本の原点のような場所だな〜

と思いました。

 

青森弘前の岩木山の麓、森のイスキアの

佐藤初女さんに会いに行ったことがあります。

 

佐藤初女さんとは↓

https://ja.m.wikipedia.org/.../%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%88...

 

当時は誰か知らずに、

行きたい人を連れて行ったのですが

(住んでいたので場所だけは知っていた)

 

その方が、

「何をすることが

自分の使命なのかわからない」

 

という質問に

「まだ時が来ていない」と

答えられました。

 

当時はピンと来ませんでしたが、

私が社会に何かをするのではなく、

社会が私に何を求めるのか?

ということなのか?

 

もちろん真意は分かりませんが、

「時が来る」っておもしろい。

気づく、気づかないに関わらず

時が来るとしたら

今しか生きられない自分にとって

タイミングは「今」しかない訳です。

 

「今できることをせよ」

 

ってことだと思いました。

 

初女さんの元には

いろんな悩みを持つ人が

来るそうですが、

どうするかというと、

相手の話をただ聞くだけで

よいとのこと

 

そのためには

なるべく自分が透明で

あるべきと言います。

意見やアドバイスを

ことさら言う訳でなく、

 

ただ聞く

 

それだけで相手の中にある

答えが引き出される。

 

「聞く」とは相手に関心を向けること

 

「愛の対義語は憎しみではなく無関心だ」

という言葉があります。

これは、ホロコースト生還者である

エリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel)氏の言葉です。

 

関心をもつということは

相手を愛することと同義。

人は自分と他者と

に関係性を求めるようです。

関係性とは関心であり愛である

 

それには

「ただ話を聞く」

ここから全てが始まるのです。