都内にいるとき、偶然OBと出会いました。

懐かしいので当時の話しや、その当時の先輩のその後とかを聞きました。

当時仲良くしていて一緒にアホしてた先輩とは共通の友人でもあったので、そのアホ先輩のその後の話しも聞きました。そのアホ先輩は故郷の宮城県に帰ってジャズ喫茶ならぬジャズ蕎麦屋をスマホの電波も届かないような山間へき地で営んでいるとか。

それだけでも話しは充分盛り上がったのですが、一緒にいたもう一人の方が元自衛隊パイロットと聞き、話しはそこそこに切り上げて元パイロットの方の話しを伺いました。

「何の機種を乗っていたのですか?」と聞いてみたら、真っ先に「F-4(ファントム)です。」と聞き、「それは最も難しい機種じゃないですかぁ!」と言ったところ、「よくご存知ですね」と返答され、その会話がキッカケで話が弾み色々とパイロット時代のことを教えて頂きました。

 

 

 

ファントムの頃は、残り燃料や搭載武器の総量を考慮して曲がるときに回転半径をパイロット自らが決めて飛ばないと速度が落ちてしまったり、もしくは思ったように曲がれなかったりしていたらしいのですが、いまやコンピュータで瞬時に機体重量に合わせた最適な回転半径に合わせて機体が曲がるので、コンピュータ積載の機体と比べるとファントムの機体操縦の難しさは激ヤバだったと。

また操縦桿で曲がるというよりもフットバーを踏んで曲がるような機体で、その後に乗ったF-2(F-16改)に比べると何倍も操縦の難しい機体だったと言っていました。

その他に操縦したことのあるジェットは、初等ジェット練習機のT-4はもちろんのこと、YS-11も操縦されてました。

YS-11は電波による着陸誘導装置を点検する部隊で運用されていた機体がYS-11だったからで、機内に電波強度を測定する電子機器を揃えていて飛びながら電波強度を測定するそうです。

私自身は自家用操縦免許を取得するのに、ICAO加盟国の中国の砂漠地域にある河南省で取得しましたという話しをしたら、その方は自衛隊時代には共産圏への旅行はまず許可されないと言っていました。確かに機密情報の宝庫ですからね、戦闘機乗りは。

 

それにしても色々な機種を操縦するなんて、一般人のマイカーの乗り換え感覚ですね。

ちなみに機種変更の際は、座学がずっと続くらしいです。

その方は幸運にも定年退職の55歳までパイロットをしていたらしいのですが、操縦で三度も命拾いしているので、現在の第二の人生は天からの授かりものだと思って生活していると言っておられました。

確かにスクランブルは荒天下でも行われていることを考えたら、民間航空のような優しさは皆無なんでしょうね。

退職後の第二の人生を天からの授かりものと思って生活なさっているのが、なんとも素敵なおじさんでした。