ダーツが上手くなりたいと思う気持ちには、
“質”の違いがあるようだ
薄々は感じていたし、
これはダーツに限った話ではないけれど、
もう、一年以上もダーツの上達考察をして来て、
かなりハッキリと感じた
大分前だけれども、
某方に、こんなことを言ったことがある
数メートル先のゴミ箱に丸めたティッシュを投げ込む
練習はいくらしても構わない
ただ一度の本番がある
そのたった一回のティッシュ投げトライ
ティッシュがゴミ箱に入ればおめでとう
しかし、もしも、
その丸めたティッシュがゴミ箱に入らなければ、
ドボンだ
ドボンはなんでもいい
その一度に1億円を握ってもよいし
そのゴミ箱以外のエリアに爆弾がしかけられていてもいい
要は、天国か地獄かという話
飛躍をし過ぎた話だろうか
スノーボードをレジャーとして楽しむ方々には、
よほどの不運が無い限り“死”には至らない
毎週末でもいい、いくらか滑っていればそれなりに滑りの上達はする
もちらん、彼ら彼女らはその枠の中で“スノーボードが上手くなりたい”
そう思っているはず
だから、上手くなるための何かを得ようと頑張って精進をしている
レジャーという枠の中で
時間の大切さを感じたスポーツがある
それは、ウェイクボードだった
ウェイクボードはとてもお金のかかるスポーツだ
そして、限られた時間の中でしか楽しめない
自分自身がどんなに時間を作っても、
どんなに体力があっても、
他とは違い、時間との戦いがある
スノーボードやウェイクボードは、
その場所に向かわなければ滑ることは出来ない
ダーツも同じくその場所を求めないとならないわけだけれども、
条件がまったくといって違う
ウェイクボード、10~15分、
長くて30分程の滑走時間である
それを、日に2セット、多くて3セット
毎回がやり残したことでいっぱいだった
再びトライをするには、次の週を待たなければならない
そして、水面のあるその地へ向かう必要がある
スノーボード、ウェイクボード共に、
上達を求める時、
自然を見て落ち着いたり、
仲間とのその時間を楽しんだり、
そこにウェイトを置いてしまうと、
レジャーの枠からは抜け出せない
同じ上達でも、
時間が解決をしてくれる上達と、
自ら掴み取る上達はまったく“質”が異なる
leisure(レジャー)
日本においてレジャーとは、1960年代の高度経済成長期以後、英語のleisure(レジャー)が余暇として紹介されたところにはじまる。シンプルな定義は余暇と同義で『仕事や毎日の家事以外の時間』のこと、または自由時間。
レジャーとレクリエーションと趣味(ホビー)
趣味とは『余暇時間での自己回復のための楽しみ。金銭的な報酬ではなく興味や楽しみのための習慣』のこと。余暇の一部でありレジャー(アクティブレジャー)に近いが、『習慣的』であれば趣味となる。
ダーツを始めて、
一年も過ぎて、AAにも成れない方々は、
基本的に、その上達思考は“趣味”の域であると感じる
先に述べたように、
自らの目標を達成できないということは、
イコール“終了”を意味する
ウィキからの引用で例えると、
仕事で失敗をすると路頭に迷う
家事をしなくなれば生活が成り立たない
つまりは、日々が戦いであるということ
お腹が痛いから今日は休むといえるのは、
ズル休みの出来る学生時代、
若しくは、それが許される適当な職場くらいだろう
結果を出せない方々に共通をする部分は明白だ
それを、“趣味”としているからである
ダーツが趣味であるということが悪いことでも害でもない
各々に、癒しであったり、喜びであったりでよいのだ
だから、上達をしないことにストレスを感じる必要もないし、
無理をして身体を壊す必要もない
当然、これによって家庭や人生を壊すなどは失笑ものである
そうなると、
一番大事な部分は各々の心の持ち方だ
1年も過ぎ、
Aフラ程度にも成れない方は、
どんな理由があるにせよ、ダーツ上達とは無縁の方である
無縁という言い方が適切かどうかは問題があるとは思うけれど、
そこまで言わなければ気づくことの出来ない層であることは間違いない
仮に、
イップスのような身体的に負荷がかかった状態になり、
それが無駄な時間を費やしてしまった原因になった場合、
イップスという病的な何かに問題があるのではなく、
そうなるように仕向けた自らに責任がある
自らの身体のコントロールも出来ずに、
ダーツ上達を試みるのは滑稽だ
自身の身体は必ずそうなるべくメッセージを発している
もしも、
イップスに限らず、
何かしらの病的な不運に遭遇をした場合、
それもそれぞれに対応の仕方というものがあると考える
苦しくも復活を遂げたプレイヤーも居れば、
それを理由にふて腐れる輩も存在をする
上達をしない方々の典型的パターンは、
我が強すぎるという点が筆頭だ
“自分は自分で頑張りますよ”
本気で何かを得て、
その先の何かを掴む気があれば、
今この状態で乞食になることも厭(いと)わない
数週間、何も口にしていない状態、
すぐそこの誰かがパンをかじっている
生きるために、前へ進むために、
することは決まっている
それはしなくてはならないことなのだ
心も身体も“ゼロ”という意識さえあれば、
全てに於いて進化のみが待っている
“自分流”
それもいいだろう
しかし、
勘違いをしてはならない部分は必ず押さえておく必要がある
それは、







