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逆手のじゃっくばうあー

逆手で投げるダーツ成長記
 ブログというか、要はダーツの成長過程で感じたことを思い出すための『俺様メモ』なわけです


 【pickup】(案内)
 http://ameblo.jp/jackdarts/entry-10757069526.html


俺だってな、歯ぁ食いしばって生きてんだよ!
 http://ameblo.jp/ajmj/entry-10756631508.html

ギャランTERAさんのエントリーです

表題からもの凄い何かを感じます
まさに、掴みはオッケーな感じ

自分的に必死、かなりやっているつもり
でも、なんだかな
結果に表れんぞ
みたいな


今回、注目をした点はココ
>プラクティス、30分で飽きた。
>もの凄く反省。


正直、俺も思います
プラクティスなんてやっててツマンネ
メドレーで勝った負けたで一喜一憂したいじゃん
みたいな

ダーツって、趣味でやってるわけだし、
それなりにやって、それなりに練習したフリして、
俺強ぇぇぇしたいじゃん

たまに、いや、しょっちゅう負けてさ、
くそーーーー、次は負けねぇぇぇー
したいじゃん

そもそも、
プラクティスっておいしいの?
なんてね


このエントリーを見て思いました

あ、プラクティスをプラクティスしてるなと

練習のため練習ってやつ?


ダーツが上手くなるやつは、
ダーツが好きなんです

例えば、
・仕事が好きで、結果、お金(給料)がもらえる
・お金がもらいたいから、仕事をする


結果、仕事はしています

でも、
その、得たお金の価値が違う

そして、
自分に残った“何か”が違う


俺は、正直、ダーツが好きではありません
だからといって、嫌いかというと、
別に嫌いなわけでもありません

このブログをやっていく上で必要だから、
頑張っている

そこで、
じゃあ、俺が、嫌々ダーツをやっているかというと、
そうではありません

ゼロ”という漫画をご存知の方ならお分かりかと思いますけれど、
その、何かになりきる
そして、染まる
ダーツをやるのなら、ダーツが好きな方々の気持ちになる
どうして、ダーツが好きなんだろうと
どこにダーツの魅力があるのだろうと

ダーツが気持ちよく飛ばせると、
とても気持ちいい
そうか、
これが、ダーツの楽しさの一部なのか

そして、思うようにダーツが的を射ると、
最高に気持ちいい
これか

そして、
ダーツが上達するためには、
この作品をよりよく、完璧に、
本物に近い形で再現をするには

自分が、ダーツを好きでいなければならない


話は変わるけれど、
ちょっと、これを観てみて

仲宗根梨乃(なかそね りの)
沖縄市出身 LA在住
19歳で渡米 大学に通いからわらダンスを学ぶ
現在はダンスの指導、振り付けなど
プロダンサーとして活躍
ジャネット・ジャクソンやブリトニー・スピアーズのバック・ダンサーにも選ばれた経験
少女時代 SNSD GENIEの振り付け師として有名


Q:努力家と言われて
A:自分では分からない 好きだからやってるだけ

Q:好きだからやってて、中々夢に近づける人も少ないと思いますが
A:機会を与えてもらえなかったら 夢に近づくようなことはできませんし

Q:そこまでに努力をなさったこととかは
A:自分、努力とか、あんまり考えたことないんですよ
  好きでやってきたから「苦」って思った事もない
  努力と思った事もないです
  自分、いつも自分に正直なんで、
  ただ、自分のやりたい事をやってるだけ




カッコイイですね
一度は言ってみたいセリフです

でも、
この言葉の本質は“カッコよさ”ではないことです

自分が、“それ”を必要とするから、
頑張っていける
それさえも“楽しさ”にしてしまう
そこが、彼女の魅力なんですね


ちなみに、
俺は、プラクティスが大好きです

一つは、
やれば結果に繋がること
それは、上手くならないとボヤキつつもメドレー等の対戦に明け暮れる、
キリギリスさん達を尻目に高見に行けること

一つは、
自分の出したいダーツに思う存分に時間を費やせること
例えば、
もしも、ダーツのコンペに出るようなノルマがあったのなら、
それ用の準備(プラクティス)を持ち出します
それは、実戦での何かであったり、
メンタル的に不可欠なものであったりです

現在は、上達考察という、一つの課題がありますので、
それに特化したことを実践しているに過ぎません


やらなければならないと思ってしまうプラクティスはやる必要はありません

好きだからこそ、
ダーツが好きだからこそ、
ダーツが上手くなりたいという気持ちがあってこそ、
それが、生きる

プラクティスをやらなかった自分が反省をする必要もないということです

そもそも、
プラクティスは楽しいものとは思っていない証拠ですもの
そんな気持ちでやっても上手くなるわけも、
続くわけもありません

それは、
自分が、学生時代に、勉強をすることをどう捉えていたか
それを、思い出せば、簡単に理解の出来ることだと思います

好きな遊びや、ゲームは、プラクティスなんてやらなくても、
やってりゃ誰でも上手くなります
そう、平均的なレベルまでは簡単に来られるわけです

中でも、その遊びや、ゲームの世界にも、
トップレベルの方々は居ます
なにが違うのでしょう?
お分かりですよね


今回の件は、
プラクティスを好きになれ
という話ではありません

本当に、正直に、プラクティスが好きになるまでの期間は、
ダーツそのものを愉しむ
それだけで良いと思います

そうやって、ダーツをやっている内に、
何かが芽生えてくる

そうして、必要と本気で思えた時に、
そのプラクティスは生きてくる

それで良いと思うのです
後は、自分次第ですもんね


楽しいと感じなくなったプラクティス
それは、ダーツを楽しんでいるのではなく、
ダーツを対戦ゲームの手段として利用しているだけなのかもしれない
ブリッスルボードをダーツが叩く音
とても心地良い
それだけでも、ダーツは楽しい



 【pickup】(案内)
 http://ameblo.jp/jackdarts/entry-10757069526.html


新プログラム始動!
 http://ameblo.jp/hyukawa/entry-10758401276.html

ひろ定食さんのエントリーです
これは興味深いエントリーでした

中でも、この一節はインパクトがあります
>私は誰でもA、ましてや、AAまでなれるとは思ってません。

>世間ではAやAAを経験された方の多くは『誰でもA、あるいは、AAまでなれる』と発言されますが、私はそうは思いません。

>やるべき事をしていないと言われるかもしませんが、Aになれない人も数多くいるのも事実です。


誰でもAフラやAAになれる
若しくは、
AフラやAAには“簡単”になれる

これは、確かに多く聞くフレーズです
皆さんご存知のように、逆手のブログでもそれは言い続けてきました


さて、
ひとつ注目をして頂きたい部分があります

この、“簡単になれるよ”のフレーズ、
どんな方々がそれを言っているのかおわかりですか?

そう、AフラやAAに実際に成られて、
尚、それに満足をしていないレベルの方々です

例えば、
Aフラに成ったはいいけれど、
短期間でその座を退いてしまった方々
また、
AAには成ったけれど、
それを維持出来なかった方々

これらの方からは、
こういったフレーズは出てきません

なぜなら、
それは、ダーツという遊びの中での“覚醒”に過ぎなかったからです
誰にでも、調子(笑)の良い時期というのがあります
そういった、一過性の事態でその地位を築いても、
それは、安定とは呼べず、
ちょっとした些細なことでも崩れ去る代物なのです

ですので、
AフラやAAのレベルを“難しいもの”と捉えてしまう


現実、
そのレベルを安定としている方々にしてみると、
これまでに苦労はしたけれど、
自分が、ダーツが上手くなりたいという気持ちが強くあったから、
それなりのことはしてきた
それ故の現在の結果
他の人間でも、それなりにやってきたのであれば、
自分程度が辿り着けるレベル
そう難しい話ではない
だから、
AフラAAには、“誰でも”来れる

そう、
もっと上のレベルには、
センス”や自分以上の“努力”“時間”を費やした、
兵(つわのも)達が居るのだ
それと同等に渡り合うには、多少の無理がいるのではないか

そう感じるからこその頻出フレーズなのではないでしょうか

>やるべき事をしていないと言われるかもしませんが、Aになれない人も数多くいるのも事実です。


“事実”の部分は納得です
多くのそういう方々を見てきました

しかし、
やるべき事とはなんでしょうか?

大会?メドレー?プラクティス?

結果として表れていないそれならば、
それは、“やるべき事”ではなかった
そう思います

もっと別の何かはなかったのでしょうか

本当に、何かに抜きん出ている人間というのは、
他人がやっていること以上に、
自分に厳しく、他人からは見えないところで、
必死に、自分に足りない部分を補おうとしています

メドレーや、大会で自分試しもいいでしょう
でも、
それ以上に“自分に必要な練習をしている
だから、楽しみとして、大会やメドレーのようなゲームが楽しめる


もちろん、
自分(本人)にしかわからない悩み、苦しみというものはあると思います
でも、
一番に考えなければならない部分は、
それは、自分でそうしてきた結果”であるということ

自分の行いの結果
それが、吉と出るか、凶と出るか

その遥か前に、
それに気づけたのか、
そうではなかったのか


ちょっと、いや、かなり厳しい論調にはなっていますけれど、
これは、
必要な努力した側に立ちたいという心の表れですので、
ご理解をしてもらいたいと思うわけです


それと、
ひろ定食さんは、
レートの“”というものにも触れられています

これは、個人的な見解ですけれど、
例えば、Aフラ
これは、壁ではありません

Aフラというのは、
普通にダーツが投げられて、
その中でも、ミスが許されるレベルだと思います
AAもほぼ同じ見解なのですけれど、
その、“普通に”の部分は、微妙な表現かなと自分でも思います

それは、
なにを以って“普通”とするか
この点になるからです

大まかな表現でいうのならば、
身体的に障害が無ければ、これは成せる部分と思います
むしろ、
身体的に障害を持つ方の方が、心は強いです
それを、ハンデとは見せない
言い訳を考えても何も生まれないことを、身をもって知っているからです



ダーツが上手くなりたいと強く願っていて、
それが、どうしても叶わない、
現状から抜け出せない
そんな人達に読んでもらいたいエントリーがあります

自分の作ったエントリーで申し訳ないのですけれど、
すごくお気に入りです
一度読まれた方でも、もう一度どうでしょうか

上手くなる鍵はそこに落ちている
 http://ameblo.jp/jackdarts/entry-10330619787.html


気持ちだけは負けないようにしたいですね


 ちなみに、
 ひろ定食さんとは、実際にお会いした仲です
 今度またデスカッションしたいです
 とても熱い方です



 【pickup】(案内)
 http://ameblo.jp/jackdarts/entry-10757069526.html


練習・・・
 http://ameblo.jp/violarye/entry-10758610530.html

kagekatuさんのエントリーです
内容はすごくシンプルなもの

でも、
この類のエントリーは、kagekatuさんに限らず多く見かけます

このエントリーにある内容は、
さて、今からダーツを始めるか
どうしたら、ダーツが上手くなれるんだろうか?
そういった初期の頃に考えなければならない部分だと思います


このような内容を見る度に思うのは、
全ては、何かに置き換えられる
ということです

そう、今までに自分が経験、体験をしてきたもの
例えば、
それが、得意なもの分野であったりすると尚良いです

俺も、今までに経験をしてきたスポーツでの出来事や、
日常、生きていくために必要とされている仕事の部分
それらを、どう賄っていくか、
それを考え当てはめてきました

kagekatuさんであれば、
英語

英語の世界に疎い方であると、
また、
英語に対して苦手意識のある方など、
英語と聞いただけで拒絶反応が出たりです

なんで、日本語を言語としているのに、
英語も話せたり、書けたりするのだろう?
日本人が、英語で誰かと話す時には、
一度、日本語を英語に変換や置き換えてから言葉にするのだろうか
英語を話せる人の脳はどういう仕組みになっているのか
いろいろ思うことはあるけれど・・・
英語の勉強って・・・
英語の練習って・・・

その時、kagekatuさんなら、どうアドバイスをするのかな
そう思いました


世に、ダーツの練習方法はたくさんあります
でも、
何のためにダーツの練習をするのでしょうか
自分に必要なもの、足りないもの、
それらを補うために、必要なことをする

それは、自分で思いつくことが出来る
ならば、それが、練習というものなのではないのかなと

与えられていない練習
自ら必要としていることをする
それが練習の本来の姿


練習に“”はありません
誰がなんと言おうと、
その練習で“結果”を出してしまった者勝ちなんです


俺が、kagekatuさんに言います
英語苦手なんですよね
単語わからないし、ネイティブに喋れないし、
何をしていいのやらチンプンカンプンです


kagekatuさんは言うでしょう
そりゃ、ろーちさん、
やることやらなきゃ英語は出来ませんよ
英語圏で生活してみるのが早いですよ
そして、単語帳で何度も言葉を確認しましょう
英語が喋れないと、生きていけないとします
そりゃ必死になるんじゃないですか
言い訳より先に、生命の危機が待ち受けていますからね 苦笑



つまりは、
ダーツが上達をしない方が不思議なわけです
皆さんが日本人として普通に生活を出来るように