ビリヤードの師匠の話が出たので、
ついでにこちらもエントリーにあげてみる
もう数年も前のこと、
久しく師匠と球が撞きたくなったので、
というよりも、
自分の成長をした姿を見てもらいたかった
ビリヤードのお店に着き、
師匠と対面をし、
さあ、遊びましょうよ師匠!
という流れになるはずが、
面倒見の良くなっていた師匠、
そのお店の常連客のキュー直しを始めたのだった
え?
○○ちゃん、先に撞いてていいよ
俺こっち先に終わらすから
はい、、、、(俺涙目)
横目、横耳で師匠の様子を捉えつつ、
ちびちびと球を撞いていました
すると、こんな会話が
師匠:○○君、俺これやっといてあげるから、その間、俺のキュー使って撞いてていいよ
そやつ:はい、ありがとうございます
そやつ、師匠のキューを借りて球を撞き始めました
師匠はというと、黙々と自前の工作道具を使い、
丁寧にタップ交換を始めた
ちょ、、、、それどうなの?
1 師匠のキューを借りた
まあこれはいいだろう、師匠がいい言ってるし
2 師匠に任せ、自分は球を撞く
これいかんだろ
なぜ、そこで、言えないのか
“いいえ、その作業見て覚えたいです”と
この時をダーツに置き換えてみる
例えば、
シャフトが折れました
折れたシャフト片をバレルから救出できない
そこに、星野プロが来て、
ああ、俺もよく折れたよ、やってあげるから貸して
と言う
そして、更に星野プロは言う
直してる間、俺のダーツ使って投げてていいよ
そやつ:ワーイ!星野プロのダーツで投げれる~借りま~す!
投げる?
投げれる?
もっと大事なことわかるよね?
この先、もっと書こうとしたけれど、
やめておこう
わかるね、俺が書きそうなこと
そういうこと
もうひとつ、
たまの週末、
ミシェルとビリヤードのお店に行くことがあった
ビリヤードに関しては出会いから師弟関係だったので、
この頻度は実に多かった
毎回、俺が運転をし、目的地であるビリヤード店へ
車で片道30分程度の距離である
何回目くらいだろうか、10回に近い頃、
俺はミシェルに言った
オマエ運転して行ってみろ
今日俺は助手席
すると、
ミシェルは言った
道がわからない と
あのな、今日の今日までアナタ助手席で何してたの
もしも道中、俺が急病でもがき苦しみ始めたら、
運転して病院に連れて行けるの
いや、そんな極端ではなくとも、
30分程度の、しかも、何度も通った道を知らないとはどういうこと
そういった話の流れから、
俺は、助手席に移動をし、
後は勝手に運転して行ってくれと伝え放って置いた
その後のミシェルは、悪戦苦闘の遠回りの末、
なんとか目的地に到着をする
かなりグッタリした様子だった
方方を車で移動することの多い俺は、
道を覚えることが得意となっていた
人間コンパスを目指していた結果だ
もちろんそれは、意識をした上での話なので、
特に覚える気がなければすぐに迷子にはなる
自分が知らない目的地
誰かの運転でそこへ向かう
次回は一人で来られるように
または、他の誰かに道を教えることの可能性を考える
そういった場合には、
より神経を使い、要点となる箇所、部分に注目をしていく
その結果が“覚える”ということにつながる
誰かがやってくれるだろう
まさか自分がやるとは
等というお粗末な思考では、
結果は取り組む前に出来上がっている
間違っても、
あの人はセンスがあるからね~
などと言わないこと
その裏には、
必ず努力や違った視点での取り組みがあるのだから
ok........