阪神淡路大震災から22年がたちました。
今日一日いろんなニュースで取り上げられていて色々思い出しました。
当日は神戸市西区(実家)に住んでいました。
ふと目覚め、時計を見たら5時45分
あ~。まだ1時間寝れるやん。と思っていると・・・
耳鳴りがしたかと思ったら。
ドン!!っと衝撃と同時にドォーグラグラグラグラ・・・・・
ベットの真ん中で丸くなり「やめてやめて~!!」って叫んだのを覚えています。
どれくらい経ったか凄く長く感じました。
ドンドン「○○、○○!!(私の名前)」
両親の呼びかけ
「ドアが開かへん!」
力尽くで開けてくれて
「大丈夫か?」
電気は着かないから薄暗い中ベットから這い出してみんなの無事を確認して。
とりあえず、1階の真ん中の部屋で身を寄せた。
(あの時は2階よりも1階の方が安全と言われていたから。
でも、1階がつぶれていたのが多いことは後で知りゾッとしました)
お父さんが通勤時に聞いているラジオを聞いていたら震源地が結構近い!!
近い=被害も大きい
なんとも言えない興奮?
何をどうしたら良いのか?
訳のわからない不安。
家族は無事なのでそれだけの安堵感。
明るくなってきて家の中が見えてきて事の凄さが見えてきて
「わぁ~~~~~~~~~~」
その時父親の一言が忘れらません。
「おでん大丈夫か?」
そう、前日の夕食がおでんだったのです。
寒い日だったので湯たんぽを沸かすためたまたま邪魔だったので下に下ろしていたので無事だったのですが・・・
なぜ『おでん?』って思った。
まあ、後々『おでん』があってたすかったんですけどね。
明るくなって、仕事どうするねん?
たまたま近くに同じ会社の人がいたのでバイクで行ったら社長や他の人にも連絡したけど連絡付かないと。
今日は行くの無理やん。
電気もガスも水道も止まってしまっている今、電車動いていないし仕事は無理でしょう。
夕方には電気が復旧してテレビを見たらあちらこちらが燃えていた。
明石川~淀川の間がひどかったようでウチは明石川の西にあるので思っていたほどでもなかったようで・・・
テレビを見てあんぐり呆然としていた。
まだまだ色々あるけど、ほんの一瞬の出来事が忘れられない。
これは震災を経験した人しかわからない思いだと思う。
今日は珍しく長々と書いてしまったな~