昨日の続きで、わたくしが若い頃に
お付き合いする女性に求めていた
4つの絶対条件についてお話いたします。
 
どーでもいいよ、そんなことって
思われるかもしれませんが、
 
これはあくまでも、つがいを選ぶ選択権は
メスにあるという学説への反論の一環でして
わたしの趣味嗜好を皆様にお聞かせしたくて
書くのではないことをご承知おき頂きたく思います。
 
 
さて、前置きはこのくらいにして
その基準についてお話していきます。
 
 
まず1つ目は「生理が軽いこと」
 
なぜか若い頃から、一目見ただけで
その女性の生理の軽重がすぐにわかりました。
 
どうして生理が重そうな女性が嫌だったのか
当時は深く考えておらず、ただなんとなく
そういう女性は避けるようにしていました。
 
今から思えば相手の生殖能力の状態を
本能的に察知していたのだとよく理解できます。
 
 
 
 
2つ目は「化粧が濃くないこと」
 
昔からケバい女性が大嫌いでした。
今でも化粧をする女性は好みません。
 
どんなに見目麗しい女性であっても
化粧臭い女性からはできる限り
遠ざかるようにしていました。
 
 
これまた当時はなぜ化粧をする女性が
嫌だったのかよく分かっていませんでしたが、
化粧の害を知った今ではよくわかります。
 
化粧はどれほど良品といわれる物を使おうが、
必ずまちがいなく健康を害します。
 
これはうちでは既に実証済みの事実です。
 
つまり、わたしが昔から化粧を嫌うのは
相手の健康状態に大きくかかわることと
本能的に察知していたからなんです。
 
 
3つ目は「たくさん歩けること」
 
若い頃はお金がなかったこともあって
とにかく移動手段は足でした。
 
本当によく歩きました。
一晩中、歩き続けたこともありましたし、
山登りもさんざんやりました♪
 
靴底が厚いバスケットシューズを
毎年一足履き潰してたくらいですから。
 
当時はなぜか、わたしと同じくらいに
たくさん歩ける女性でないと
付き合えないと思いこんでいましたので、
最初のデートではいつも長距離を歩き、
不平不満を言わずについてこられるか
見極めておりました。
 
 
なぜこんな馬鹿げたことを大事な基準に
していたのか、これもまた今ではわかります。
 
若いときに元気に歩くこともできない
ような、そんな体力・筋力のない女性が
元気な子供を産めるはずもなく、
そのことをわたしは本能で感じていたのです。
 
 
4つ目は「ほっそりした体系であること」
 
当時、テレビの影響で巨乳という言葉が
巷で流行り始め、胸の大きな女性を男は
好むものだという誤解が世間に広まりました。
 
全ての男性が必ずしも巨乳を好むとは
限らないのにと、わたしはこの事態を
極めて苦々しく、はた迷惑に感じていました。
 
 
この基準はあくまでも好みの話になって
しまうのですが、わたしはむしろ巨乳が
大嫌いだったんですよ。
 
ホルスタインみたいな胸の大きな女性は
暑苦しく、鬱陶しいと感じていました。
 
逆にほっそりとした体形の女性が好みで
胸は小さい方がむしろいいとさえ思っていました。
 
 
これまた今ではよくわかることなのですが、
ようするにわたしは自分が骨格や筋肉が
しっかりしている縄文人タイプであり、
もし女性に生まれていたら、まちがいなく
ボン・キュン・ボンの体になっていたからなんですよ。

 

だから、自分の持つ遺伝子と遠い存在
である、ほっそりした体つきを持つ
弥生人タイプが好みだったのです。
 
動物は自分とは違う遺伝子タイプをもつ
相方を自然と好ましく思うことで、
子孫においてより強い遺伝的形質を獲得する
ことが可能になっており、だから縄文人と
弥生人はお互いに好みのタイプとなっているのであります♡
 
 
 
 
という具合に、オスであるわたしは
若かったころ、お付き合いしたいメスを
こうした選択肢で選んでおりまして、
その選から漏れた女性たちには、当然、
声をかけることはございませんでした。
 
つまり、このことからも分かる通り、
メスがオスを選んでいるという単純な
お話では決してないんですよ。
 
最初の選択権はシビアにオスが握っており、
その基準を満たしたメスがいたときに
はじめてオスは求愛活動を行い、
メスはそれを受け入れるかどうかの
最終的な決定権をもつ。

これが本当の動物一般の原則なのであります。
 
 
女性は最後の決定権こそ握っていますが、
その前にまず男性から選ばれなければなりませぬ。
 
最後の決定権を持っているとしても
それを使えるかどうかは、男性が自分を
選んでくれるか否かにかかっているのです。
 
「メスがオスを選ぶ」なんて学説を
うっかり信じて、ここを勘違いしては
絶対にいけませんよ。
 
相手を選ぶ権利、これはオスメスともに
半分半分なのであります。