人は興味関心が違うと、同じ景色や物を

見ても、脳は、見た・見てないの処理を

変えてしまうことがあります。

 
例えば目の前に珍しいギフチョウが飛んで
いても、興味のない人の目には存在が認識
されないということが実例としてございます。
 
結局、人間は目に映る数多くある映像情報
の中から、自分が見たいものだけを選択して
見ているのです。
 
ですから、人は同じ世界に生きていても
必ずしも同じものを見ているわけでは
ありません。

 

これは肉体は同じ世界に存在はしていても
実は精神的には同じ世界に生きてない
ということを意味してるともいえます。
 
 
なんていうところまではよくある話で
誰もが一度は聞いたことがあることでは
ないかと思うんですよ。
 
今日、わたしがするお話は
こんな単純なことではなくてですね、
斜め45度上だか下に向かって
傾いている角度からの話になります♪
 
 
わたくしが見ているものってのは、
興味関心のあるなしで見えているとか

見えていないという議論ではそもそもなくて、

 

他の方とはまるっきり違うように
見えてしまっている、という話なのです。
 
 
 
 
どうもわたしは他の方と同じものを見ても、
なぜだか全く違うように捉えてしまって
いることがしばしばありまして、
 
例えば、料理教室にいらした生徒さんの
目が真っ赤に見えたときがございます。
 
これは他の方からは通常の白目と黒目に
見えていたようなんですが、なぜだか
わたしには真っ赤に染まった目にしか
見えなかったのであります。
 
この方はちなみに長年にわたって
コンタクトを付けておりまして、
その悪影響が目から頭にかけて出ていて、
精神までぼんやり霧がかかったように
なっていらっしゃいました。
 
恐らくそういったこともあって、
わたしはこの人の目が赤く見えたのでは
ないかと思うのですが、このあたりの
理屈は自分でもよくわかりません。
 
 
また、いつも微笑んでいる人というように
きっとみんなには見えているであろう
お顔のきれいな方なのですが、
 
わたしの目に映っているのは違う顔で
まるで泣きながら怒っている、
般若のような怖い顔に見えていました。
 
この方は、きっといつも笑みを浮かべて
いないといけないと自分で思って、
それで意識的にやっているのでしょうね。
 
でも、わたしはどうやら人の表面の
顔ではなくて、その人の真実の顔が
透けて見えてしまうことがあるようなのですよ。
 
 
特に怖いのは、夕暮れ時に見る人の顔が
とりついている動物の顔に見えるときです。
 
PTAの役員をやっていたとき、
突然、周囲の女性たちの顔が変貌し、
カエルや狼、タヌキやキツネなど、
様々な顔がダブって見えたときがありました。
 
これはその人の持っている悪い邪気とも
いうべき性質に合わせてとりついている
連類がおり、それが顔に出てきたと確信
いたしております。
 
ちなみに女性はこうした動物の顔に
なりますが、男性の多くは怪獣のような
顔になります。
 
きっと名誉や地位に固執する人は
怪獣顔になる特徴があるのでしょう。
 
 
 
 
また、他の人には恐らく見えてないと
思われるものを見ているときが子供の
頃からよくありました。

 

 

よたよたと歩いていた、全身が包帯だらけの
ミイラみたいな男の人。
 
あれは他の人にも見えていたのかしら?

 

 

夏の日、近所の高層マンション横の道で
すれ違った、日傘をさした真っ白な顔で
唇が長く裂けて見えた女性。
 
彼女は本当に人だったの?
 
 
千葉の田舎に住んでいたころ、
学校の帰り道で通る栗林のヤブの中に
一瞬だけ現れた、見たこともない蛇。
 
後で知ったツチノコにそっくりでした。
 
 
はたまた、部屋の掃除をしていた時に
逃げいていった黒い塊。
 
あれはもしかしてトトロに出てきた煤渡り?
 
 
他にもいろいろと見てきたのですが、
こういうのは異様さが強すぎるので、
さすがに自分でも、あれ、これは?
って疑いを向けることができます。
 
問題はもっとさりげない、
異様性があまり感じられないもので、
そうなるともう自分だけが見えている
ものなのか、それとも他の人も同じに
見えているのか、ちょっと判別がつきません。
 
こういうのは、例を挙げるのが難しいんです。
 
そりゃだって、自分で気がついてないの
だから当たり前なんですけどね。
 
 
 
こんな具合にわたしはどうも他の方には
見えないものが見えることがあるのですが、
その代償がきっちりありまして、
それは何かといいますと・・・
 
 
先日、近所のイオンで妻と買い物を
していたときなんですが、
 
一階下に降りようと思ってエスカレータを
探してキョロキョロし、後ろにある遠くの
エスカレータに向かって歩こうとして
妻に呆れられたことがあります。
 
実は下りのエスカレータ、目の前にあったのです。
 
 
台所で洗い物をしていて、今何時かなって
思って時計を見ようと左後ろを振り返ったら、
クリスマス飾りを飾るために、いつも見る
時計が外してありまして、
 
致し方なく別の壁にかかっている時計を
見ようと今度は右後ろを振り返ったら、
ちょうど換気扇の陰に隠れて時計が見えなくて。
 
これは困ったな、時間が分からないやって
諦めた時、目の前に時計が置いてあるのに
やっと気がつきました。
 
 
なんてことが、実はわたくしには
しょっちゅうございまして、
 
見えないものが見える代わりに、
見えるはずのものが見えない
 
妻いわく、等価交換なんだそうです。
 
 
つまりですね、よく人は見えないものを
見えたりする人がちょっと羨ましいとか
自分もそうなりたいなんていうことが
あるみたいなんですけど、
 
案外、それって実際の生活ではとっても
不便なんですよって声を大にして言いたい。
 
ほんと、それなら見えるものが見える
方が絶対暮らしやすいと思いますので。