あるとき、娘から言われた言葉で

ふと気になったことがありまして、

今回はそれを掘り下げたいと思います。

 

 

それは台湾で買ってきたお土産のお菓子を

家族で同じだけ分け合って食べたという

話を料理教室の生徒さんにしたときのこと。

 

「でも、実際にはお父さんはわたしが

残した分も食べているから、多めに食べてるよ」

 

 

 

 

そう、確かにその通りなんですよ。

 

公平に人数分に分けて配ったのですが、

娘は台湾の甘いものはあまり好みではなく

わたしに残りをくれたのです。

 

ですから、わたしだけ少しばかり多めに

食べたことは事実なのであります。

 

 

でも、このことってよくよく考えてみると

 

実はわたしが少し多めに食べる方がむしろ

平等で公平なのでは?

 

そう思える側面があるのですよ。

 

 

たとえばお菓子を家族4人で4等分する、

これは一見、とても公平で平等に見えるし、

実際、お菓子に注目すればそうでしょう。

 

でもですね、それを食べる人間に注目

して考えた場合はどうなのでしょう?

 

体の大きさや男女の差というものが

ありまして、一般的にみても大きな体の

人の方がより多く食べるのが普通だし、

 

男女でも同じ背丈なら男性の方がより

多く食べるのが常ですよね。

 

 

極端な例を引きますと、

 

巨大な象と小さな蟻がお菓子を平等に

分け合うとき、同じ分量で分けるのが

本当に公平なのか?

 

ということです。

 

 

小さな蟻が満足する量と大きな象が満足

する量はおのずと違いますよね。

 

平等とか公平性っていうものは、元より

各々の満足の度合いを同じ程度に担保する

ために存在している概念であるのですから、

 
象と蟻に同じ量のお菓子を配ることは

逆に不公平なのではないのかと思うのですよ。

 

 

ただ、そうはいっても平等とか公平と

いうのはなかなかに難しいものでして、

 

もし体や胃袋の大きさに合わせてお菓子を

配ったら、きっと少なくもらった方は、

 

「あっちだけ多くてずるい!」

 

そんな感想を抱くに違いないのです。

 

 

でもね、象が満足する量をもらっても

実際のところ、蟻は食べられないでしょ。

 

そう考えると、本当は平等とか公平って

いうものは、それをもらう人たちの特性に

合わせて考えるべきなんじゃないかなと。

 

 

ということで、多分、一番仲良くできるのは

 

最初は同じ分量だけ配って精神的

満足感を皆が得る。

 

でもって、体や胃袋が小さい者は

自分より大きな方に少し分けてあげて

肉体的な満足感を平等に得る♡

 

 

身の程を知り、互いを思いやる優しさを

持つことこそ、本当の平等とか公平な

世界を実現させるんじゃないかなと。

 

まぁ、そううまくはいかないから

この世界は奪い合いが横行しているので

ありますが。

 

 

全ての人間が裸で暮らしていれば

痴漢なんてする者はいなくなるのと同じで

ここでもまた押し付けられた倫理観が

弊害を招いている気がいたします。

 

その身に応じた平等性が実現できれば
今のような奪い合いは起こりにくくなり、
この世界も少しはマシになるような、
そんな気がするんですよ。