昨日のブログで昔の弱っちかった自分を

書いていたら、もう一つ、書き残しておきたい

エピソードがあることを思い出しました。

 

 

わたしは幼い頃、母親から離れることが

できない、いつも母のスカートの後ろに

隠れてばかりいる典型的なお母さん子でした。

 

ただ、四六時中、一緒にいないとダメだった

のかというと、そうではなくて、友達と遊ぶ

ときには母と離れていることが平気な子でした。

 

 

今から思うと、東京で暮らしていた時は

父方の祖母と狭いアパートに同居で、

 

このときが一番、父母の体罰が激しく、

わたしに対する精神的な圧迫が最も

きついときだったので、

 

おそらく祖母との同居によるストレスで

父母は子供にそれをぶつけていたのだと

思われます。

 

 

もっとも、父の方はそれが元々の

性格だったようで、東京の義母の元を

離れて、千葉に引っ越してからも

相変わらず理不尽に厳しいままでした。

 

が、母の方は引っ越し後、次第に性格が

丸くなっていき、ヒステリックにわたしたちを

ぶつことはなくなっていきました。

 

 

わたしは母からどんなに体罰を受けても、

それでも母が好きで、母に構ってほしくて

母に守ってほしい子でした。

 

ですので、母と離れて幼稚園や小学校に

行くのがとても嫌でした。

 

外に遊びに行くのはよかったのですが、

それはいつでも母のもとに帰ることが

できるからであって、

 

幼稚園や学校はそれができないので

行くのがつらかったのです。

 

 

 

 

しかし、それも小学2年生までのことで

夏休みに千葉に引っ越した後、

昨日のブログに書いたとおり、

わたしは急に強くなりました。

 

 

母のことは相変わらず大好きで、

離れたくないという気持ちがまだ

残っていたのですが、

 

新学期が始まってすぐの学校からの

帰り道、急に母の顔が脳裏に浮かび、

 

それがまたすごい映像で今でも鮮明に

覚えているのですが、

 

母の顔の周りにたくさんのきれいな

花々が咲き乱れているという、

まるで女神様のような超絶的に美化された

姿なのでありました。

 

 

今から思えば、うぇぇ・・・ってなるような

図柄なんですけど、まだ小さかった頃の

わたしにはそれはとても嬉しい姿なのでした。

 

 

そして、その映像が脳裏に浮かんだ瞬間、

あ、もうお母さんと離れても大丈夫♪

って、なぜかそう思えたのであります。

 

 

それはおそらく、自分の心の中にちゃんと

母が住んでいることが確認できたため、

わたしは母と離れても大丈夫なんだって

安心することができたのだと思います♪

 

 

こうしてやっとわたしは母と精神的に

離れることができるようになり、

昭和男子としての道を歩むように
なっていったのでありました。