ダイヤモンドプリンセス乗船記(最終回)
7日目、今日の清水港入港は12時ごろの予定なのでゆっくり起床し、午前中はシアターで料理ショーを見ました。
料理長はしっかりとした料理をつくり、料理部門の責任者がつくる料理はとても食べられそうもありません。二人で楽しく掛け合いしながらつくります。
料理部門の責任者という人はとんでもない料理をつくりながら説明を加えます。説明はなかなか訳せないようなことを言っております。そしてヒロシさんに
"translate!"と連発し、困らせます。
まともな料理ではないので、調理し終わるとそっと陰から出した出来上がった別の料理と交換し、料理長のつくった料理とどちらがおいしそうか、会場に問いかけます。
最後は調理部門、ウエイターなど料理に係わる多くの人が舞台に集まりました。
午後は予約してあった観光タクシーで久能山東照宮へ出かけました。
家康は生前、遺体は久能山に納め、一周忌後に日光に小堂を建てよと遺言を残しており、それに従ってここに東照宮が建てらたそうです。
ロープウエイから海がきれいに見えます。
久能山東照宮の石段は段ごとの高さがとても高く上りはとても大変です。
本殿(国宝)
逆さ葵(葵の紋が上下逆さになっており、建物が未完成だということを表すそうです。)
御廟
帰りもロープウエイで。
ロープウエイを下りて、隣の日本平夢テラスへ。
ここから富士山がきれいに見えるはずですが、この日は全く見えませんでした。
日本平夢テラスは隈研吾の設計によるものだそうですが、万博の空中回廊とよく似た設計です。この地方の人はこちらが先で、万博はこちらの模倣だと言っているそうです。
隣のロープウエイ乗り場
この先、次郎長の生家を訪ねました。次郎長にまつわる写真や資料が展示されております。
次郎長はかつては浪花節によくとりあげられておりましたが、最近は知らない人も多いようです。
次郎長は任侠親分として知られておりましたが、明治維新を機に社会事業家として清水港の発展に寄与したそうです。
次郎長が経営していた船宿「末廣」
当時の英語塾の様子
港へ帰ると船に向かって歌を唄って送り出してくれる人がいて多くの人だかり。
午後5時出航予定が航路の変更で午後8時出航に変更になりましたが、当初の予定に合わせて歌っていたものです。まだ船に帰らない人もおり、ちょっとちぐはぐになってしまいました。
夜のレストランでは恒例のウェイターによる行列、ロウソクを灯したケーキなどを持って店内を走り回ります。コロナのとき、批判を浴びたセレモニーですが、コロナも終息し、また復活しております。
夕食後はシアターでプリンスワールドオーケストラによるミュージックショー。
迫力あるショーを楽しみ、いよいよクルーズも終わり。明日は下船です。
荷物をまとめ、廊下に出しておきます。こうしておくと大さん橋まで運んでくれますので、そこで受け取り、税関検査を受け、宅配便で自宅まで運んでもらいます。
朝食はリザーブ・コレクションの人はサンタフェで食べることができ、パシフィックダイニングで下船まで過ごすことができます。
今回は8日間のクルーズでしたが、アップグレードもあり、ゆったりと非日常を味わうことができました。