11年前の4月14日

あの日も同じ日曜日だった

今日はお父ちゃんの命日


じいちゃんが12年ぶりに生まれた男の子に
「勲章を貰うほどの男になれ」
と名づけた【勲 (いさお)】

それが私の父だった


鳥取大震災と阪神淡路大震災と2つの大きな地震を乗り越え
そして第二次世界大戦を乗り越えて生きた人だった

私に食事マナーとか、物の食べ方を教えてくれて
いつも『寝て物を食う時は死ぬ時や。熱あっても生きてるなら座って食え』『人間は雨露しのげて寝れる場所があって、食う物があったら幸せや』と言っていた

小学校時代のイベント(音楽会や運動会)は必ず来てくれてた
大きな声で「お美代さん来たで!!」と言いながら、Nikonの一眼レフカメラで友達や私を撮ってくれた (このカメラは私が生まれる前から人生を写して来た)
男の子の友達・女の子の友達にも父は人気者で、みんな私より先に「おっちゃん!」と父を呼んでいた

お正月は凧揚げをして

父の休日はキャッチボールとか (私用の真っ赤なグローブがあった)魚釣りをした
いろんな所へ連れて行ってくれた (だから私は遠足や学校行事の旅行は、ゆっくり出来ない・もう行った場所・だから大嫌いだった)

買ってくれるおもちゃはトミカかプラモデル
虫取りもした....今思うと父の子育ては【男の子の育て方だった】

アルファベットも父が教えてくれた

釜でのご飯の炊き方も教えてくれた

父の頼み事や喜ぶ事をすると、1万円くれた

コーヒーが好きな人で、コーヒーを煎れてあげると5千円くれて


自分が亡くなっても困らないように葬儀代を遺してくてれた






お姉ちゃん (女性)好きな人だったから、あの世でも親切にして、お母ちゃんに小言言われてるんかな