もうこの頃には、私の進路希望は

1:ジャパンアクションクラブ

2:ジャパンアクションクラブ

3:東映

でした


大学は 大阪芸術大学 を勧められてましたが

行くなら 日本芸術大学映画学科 で映画関係に進みたい❗

いや、大学ではなくJACや‼️


.....と言ってなぁ



ママには「大学から留学して絵を学んで欲しい。その為の学費や必要費用は出してあげる」と言われたけど

そこまでお世話にはなれないし、どうしても本当に親もと(特に母親)から逃げたかった


























局所再発乳癌の手術をした日だなぁ

月曜日から金曜日までの抗がん剤治療の効果が出て、手術不可だった大きさの腫瘍が手術可になって

ママ (育ての母) が手術付き添いになってくれて

「1番先に手術室に入ったのになかなか出て来なくって、○んだかと思ったわよ❗」
と泣いて言われたっけな、麻酔から覚めた時

9時間はかかってたのかな手術

えぐれた胸から腫瘍切除と、残ったリンパ取りだったから、脇から下を30cm切ってたな


食物アレルギーが酷く、食べれる物が無い中、やっと食べれる物が出てるのに手術で丸一日食べれない

ニワトリのイラスト書いて「からあげ食べたかった」とメモしてテーブルに置いてたの、ママ持って帰ってたな

「これ貰っとくわよ。まだ腕は衰えてないんだから、絵を描き続けなさい」
と言われたなぁ

私の絵のどこが良いのか今でもわからない



そんな日があった

5月20日って
















〖子宮口の開きが悪いし、陣痛が来て3日になるから、朝に生まれなかったら緊急帝王切開しますね。だから夜ご飯は無しです。お水もあまり飲まないでね〗

と、5月10日午後7時いや6時かな陣痛室スタッフに言われて

そこから急にお産が進んで.....


5月11日午前0時40分

仮死状態で娘が生まれました。


超音波エコー検査では見つけられなかった、首にへその緒が二重に巻き付いて

新人助産師さんが「私出来ません‼️無理です‼️」と泣き叫び

指導助産師さんが「なに言ってるの‪💢退きなさい‪💢」と怒り

産科医師は「どけ‪💢邪魔じゃ‪💢」と叫んで

なんか新生児用機械がガラガラと運ばれて、セットされて

「まだこんなに医師とか看護師さんが居たんや」と言うくらいに、サササと入って来て

『はい❗産まれました』の声と同時に、私の横にあった酸素&保温付き新生児用ベッドに置かれて蘇生処置開始

顔が白紫で泣かなかった


産科医師が「よぅ頑張ったなぁ〜。お茶に氷いっぱい入れたるから飲み」とお茶を入れて下さった

そうこうしてる間に、娘は息を吹き返し産声をあげた

そこでやっと『おめでとう。女の子です』と言ってもらえた


そう、今日は娘の誕生日



【後日談】

11日の当直産科医師は、中央市民病院で1番怖い医者で有名だったそうで

「お産のあと氷いっぱいのお茶を入れてくれたよ」

と言ったら驚きの声が上がったな

「えっ⁉️こんなに医師や看護師さん居たんや」は新生児科のスタッフでした


私を担当してくれた新人助産師さんは、私で8人め

異常出産は私が初めてだったそうでした