20年前の4月6日は息子の学校説明会だった
そして、母の主治医からの病状説明も4月6日
どうしても時間が合わず、息子に「ごめんな」と言って、母の入院している病院・神戸市立中央市民病院 (当時の名称で、場所は今のみなとじま駅前) に行きました
看護婦さん達は「ごめんね〜せっかく合格したのに。合格取り消しになったらどうしょう」「合格取り消しになったら言いに来て」と気遣って下さった
母の主治医は凄く背が高い先生だった (私より約30cm上)
上ばかりキョロキョロ見て、私が「あの〜来ました」と言ったら、見下ろすように私を見てこう言った
『お母さんは❓お母さん来てないの❓』
へっ!?となり「母は入院していて、今日ここに来るようにと」と言うと
『えっ!?娘さんなん❓お孫さん違うの❓』
と言われた
なんやかんやあって、母の病状を聞くと
〖もって半年〗〖痛みのコントロールをしながら治療をするので、なるべくもつようにします〗
でも、2度目の奇跡は起きなかったな
(1度目は末期からの右胸全摘出で奇跡が起きて助かった)
モルヒネ系痛み止め服用と抗癌剤服用治療とやったけど、抗癌剤の副作用がキツすぎて体力低下
このままだと体力が無くなりすぐにでも...となったから、モルヒネ系の痛み止め服用だけになったな
母は養母がヒロポン中毒で 壊れて行くのを見てるから『絶対に注射や点滴はいや!』と言って聞かなかった
それから5ヶ月後
母の痛くて辛い癌生活と、激しい激動の人生に幕を閉じた