今日は父の誕生日、だった日


昭和 7年 4月 7日

最初に男の子が生まれてから次から次へと女の子が続き、やっと12年目に生まれた次男

時が時だったから、おじいちゃんが「勲章をもらうような偉い男になれ」と付けられた名前だそうで【勲】

5歳頃まで身体が弱く、医者も匙を投げてもう亡くなる寸前の病をし、それが奇跡的に治ると、すごい野生児になったそうです(笑)

じいちゃんの手伝いで漁船に乗り込みながら、学校に行ってたそうです (まだ夜が開けない頃に船に乗り、登校時間ギリギリまでやってたそうです)

長男だった伯父ちゃんと大喧嘩の末、泣いて止めるじいちゃん(父にとっては父)を振り払い家出、そして神戸に・・・・


日清製粉に入社→母と見合い結婚


子供はもう諦めてた時にひょこっと出来たのが私で、毎日産院に来ては新生児室で寝ている私を嬉しそうに見ていたそうです

私は父に名前を付けてもらいました


動物や自然を愛してたから、私に動物の接し方、虫の捕まえ方、釣り、自然でも生きていける術を教えてくれました(これは父方の従姉兄はみんな父に教えてもらったそうです)

父の実家(生家)鳥取県境港の日本海で、遊泳禁止間近の海に私はほりこまれ、自力で脱出したこともあった

アルファベットも教えてもらったな(これも父方の従姉兄はみんなそう)

運動会や音楽会は絶対に来て、NIKONの一眼レフカメラで私や友達を写してくれてた

お父ちゃんがマキ上田が好きだったから、私はジャッキーと知り合うことが出来た

お父ちゃんが想い描く私の人生と、私自身の想いが違い、反抗した時にグ〜で頭を殴られて・・そのおかげで「どっちくしょう!」と言う気持ちで頑張れた

辛い時やしんどい時は『肉食いに行くぞ』と連れて行ってくれた

母と夫婦仲が完璧に冷め切り不倫に走ってたけど、別に何にも思わなかったな
「あのお母ちゃんなら仕方ないべ」と思った

兎に角お父ちゃんはモテていた。それが娘の私には不思議で仕方がなかった


父が性病をもらって来た時に「お美代さん!どないしよ!お父ちゃん変な病気もらったで、ここら辺にええ病院あるか?」と聞いて来た時には、心がぶっ飛んで爆笑した 




・・・・・父は私を男の子を育てるように育ててくれたが、私は父には恨みごと1つも無い

ありがとうな!の感謝しかない