今日は敬老の日なのでこんな曲を。

老人と子供のポルカ(左卜全とひまわりキティーズ)
作詞・作曲・編曲:早川博二
レコード:DP2063(1970年)日本グラモフォン
CD:SRCL-4904-5(2000年)ソニー・ミュージックエンタテインメント 他
CD:SRCL-4904-5(2000年)ソニー・ミュージックエンタテインメント 他
入手難易度:☆☆
コサキン度:☆☆
コサキン度:☆☆
左卜全さんといえば黒澤映画をはじめ数々の映画に味のある老人役などで出演した昭和を代表する名優・怪優です。
曲自体の解説はウィキから抜粋
曲自体の解説はウィキから抜粋
1970年2月10日リリース。リリース当時は、日本の高度経済成長の集大成とも言うべき日本万国博覧会の開催が迫っていた時期だが、その反動として数々の社会問題が重くのしかかった時代でもあった。本楽曲はリズムこそ軽快且つコミカルであるものの、中身は「『ゲバ(学生運動)』『ジコ(交通事故)』『スト(ストライキ)』の被害者は老人と子供である」という痛切な叫びが込められたメッセージソングである。 元々、当時TBSの『時事放談』で人気を得ていたエコノミストの小汀利得が歌う予定だったが、小汀が歌うことを拒否したため、その代役として左が歌うことになった。左は当時76歳だったが、これは当時としての日本音楽史上最高齢の歌手デビューとして話題となった。
またバックコーラスを受け持ったひまわりキティーズは劇団ひまわりの子役である女子小学生5人で構成されたグループ。そのうちの一人が後に夫婦ユニット「Le Couple」の一員となる藤田恵美である。
曲は老人と子供の意外な組み合わせと左の歌声の絶妙なリズムのずれで人気を博し、レコード売上は約40万枚、1970年度オリコン年間第45位を記録した。
当時テレビ出演した貴重な映像がアップされていますのでどうぞ。
当時高校生だったラビーも自宅にあったオープンデッキで録音し、のちにコサキンでもOAされた通称「ものまねテープ」の中にもしっかりと収録されてましたからよほど大ヒットしたのでしょうね。
ちなみにウィキによると
「老人と子供のポルカ」のレコードの収録の際、左の歌い方が遅くて演奏やひまわりキティーズの歌声と全然噛み合わず、何度も録り直しをして6時間かけてようやく収録している。しかし左自身は疲労を見せるどころか全く平然としていたと言う。テレビ中継や収録で歌うときも口パクを嫌って地声で歌っていたが、演奏と歌がなかなか噛み合わず、演出担当者が指導しようとすると「機械のほうで俺に合わせろ!」と啖呵を切り、マイペースで歌っていたと言う。そこで演出担当者は歌が途切れそうだった時はミキサーを調整して流すと言う手法を使って本放送を凌いだと言う。啖呵を切る一方で本番で歌い終わった後は必ずスタッフ全員に「皆さんお疲れさんでした」と労いの言葉をかけてから帰ったと言う。ト全の人柄が偲ばれるエピソードである。この微妙な音程のずれ方がイイんですよね~w これをコミックソングといって良いものかどうか分かりませんが、ノベルティソングや企画モノの範疇としては外せない名曲ですね。
ちなみに現在まで様々な方々にカバーされており、コサキンでは海人Tシャツでもおなじみのこちらも怪優・梅津栄さんの歌ったバージョンも紹介されましたがこちらは梅津さんが元気でまた別の意味でほのぼのとした感じが味なバージョンです。

