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①これは偶然だが昨年の12月22日号の「目ざめよ!」誌を大事に保管しておいた。例のマヤ暦のあの日だ。この中に「赤道での驚くべき発見」が載っていた。
昨年なので2012-2005=7年である。7年後のイベントの向けて同月日に発行したのだろうか…まさか…。
2012年の天文現象は多々あるが.飛びっきりの.頗る付きの黒点最盛期に当っている。
これは周期性(11年ではなく別の周期性)でマヤ人でも予測出来たのかも知れない。
だが.日本の金環食は予測不可能だったろう。九州南部~四国南部.関西~関東で観測出来る。こんなに広範囲で見えるのは2030年(金環)と2035(皆既)年だけだ。
もっとも.これから生まれる赤ちゃんは更にチャンスがあるが…。 

②次がその大要。驚くべきマヤ文明ではある。
1936年.仏人による探検200年を記念してエクアドのキトの近くに記念碑が建てられた。
大勢の観光客が「世界の真中」と呼ばれる記念碑を跨ぎ.北半球と南半球の両方に立っていた。所がそうではなかった。最近の発見によって赤道が少し修正された。
仏学者達が来る.遥か昔.先住民はその正確な位置を知っていた。
1997年.キト北方のカタキーヤ山頂で一見.取るに足らない半円形の壁の遺跡が見付かった。
調査をしたクリストバル.コボがGPSで壁の一方の端が赤道の真上にあるのを発見した。
これは偶然だと簡単に片付ずけらても仕方がなかった。然し.壁の二つの端を結んだ線はナンと23.5度の角度になっていたのである。これは地軸の傾きと同じである。しかもその線を伸ばして行くと一方の先は冬至の太陽が昇る位置を.もう一方は夏至に太陽が沈む位置を示していた。このカテキーヤ山は天体観測の中心地として用いられていたのだろうか。
更に驚くべき発見が続いた。そうした天文学の数値と関係ある場所を地図上に記して行くとひとつの図形が浮かび上って来たのである。略。

③現在.コボが指揮するプロジェクトチームによって初期先住民が天文学の専門知識を持っていた証拠を鋭意.収集中だと云う。
先史文明を持つ中南米諸国は離れているが陸続きである。交流や移動があった。勿論.争いもあったのだろう。当然.独自の発達した文化や先端技術があったのも想像に難くはない。だが.古い.マヤ時代(日本の弥生時代~)には天測法は開発されていなかった筈だ。春分.夏至.秋分だけの観測で正確な赤道の位置が解るだろうか。
ナスカの地上絵と相俟って.地球外文明の知恵が加わているとしか思えない。
ニューヨーク沖のトルコ機墜落調査のついでにピラミットも見て来たが.これも地球外文明の匂いがしたのを覚えている。
こんな事を言うと当.情報の信用失墜に繋がるだろうが私の学歴は前にも書いたように幼稚園卒.小学校中退?である。かてて加えてマダラ呆け.おまけに古歯と共に頭の螺子が2本程.抜け落ちている。カンベンして欲しい。

④GPS時代なら別だが.天測は正確な時刻が分らないと不可能だ。昔はJJYが頼りだった。今は.単なる電波時計だが.当時は正確な周波数と時刻報と電波警報の3つの機能を持っていた。勿論プロがワッチすればJJYの入感状況で磁気嵐.デリンジャー現象等も判った。一石四鳥の電波だった。
嘗て.1級船舶操縦士にデッカやロラン等を教えた事があるが天測は何級から出題されるのかは忘れた。著名なヨットメンやヨットウーマンのJJ1SQT.JA3MYK.JQ3JJE.JJ6PPT局長にお聞きしたい。
メとマの違いは男性は堀江さん等3人.女性はいまきいれさん.お一人だからである。

⑤日本の文献やWebからではとかく軽く見られスルーされる。そこで.あえて箔が付く横文字を引用する。
ウエザーコムの10年程.前の(サイクル23前)のものである。
黒点周期のミニマムでは(昨年~今年)スモールandレア(稀な)and few solar flares(フレアは少ししかない)が当り前だった。
次のサイクル24用に11年周期を+して.2011or2012と読み替えると問題の2012年に重なるのが分る。
「フオトンベルト」の著作者の渡辺氏のサイクル24のアクチビティー予想を見て貰えば分る通りかなり米.情報の信頼性は高く.サイクルの谷の暴れを見てもそれを裏付ている。元.郵政省のNictが出した(当.号外)のフレア情報を見て戴けば判ると思う。少々のフレア位で緊急連は発信しない。
The frequency of flares coincides with the Sun's 11 year cycle. When the solar cycle is at a minimum, active regions are small and rare and few solar flares are detected. These increase in number as the Sun approaches the maximum part of its cycle. The Sun will reach its next maximum in the year 2000 or 2001.

⑥428号⑧再掲。
本格的な12年12/22を取り上げたものはこれ又.沢山あるがギルバート・コットレル共著.「マヤの予言」等がある。その帯には「2012年12月22日.マヤの暦は世界の終焉を迎える」「地球は果たして.今のリズムを刻み続けられるのか??」
サイクル24前のどん底(極小期)での太陽活動を見ているとピーク(極大期)の2012年頃の暴れ方が気にかかる。まさか.コロナ100000000度.フレアの爆発温40000000度.彩層温90000度なんてならない事を祈っている。もしかして.この日が12月22日だったらどうしよう!!!
何故.古代マヤ人は3012年にしてくれなかったのか??

⑦こうなった日にはローンや借金から開放される。首が思う存分.回るようになる。
支払う相手が.アイフルが銀行が無くなるからだ。然し安心してもらっては困る。自分自身も時を同じくして消滅..地球上の全生命は絶たれる。

何回も書くが高度なマヤの暦に秘密が隠されているのは間違いない。長年観測で確立した周期性を注視したい。そのスパンはかなり長大なもの迄.含まれている。
けちな彗星周期ではない。このスパン(2012年到来)が恐ろしいのである。
コットレルは2012年が周期的変動の大きな節目に当っていると考えていた。
我々の観測歴が余りにも浅く.例えば黒点サイクルはたったの23。これで明らかな様に長い人類の歴史に比べると問題にならない。マヤ人より観測暦が短いので何とも言えないが108年~2500年周期説が称えられている。連日のDX大オープンのサイクル19はハムが体験しているがこれに匹敵するサイクル24なら 6サイクルになる。
18世紀に太陽活動が一時的に途切れ.黒点が殆ど見られなかった時期は寒冷化に見舞われた。21世紀初頭が温暖化のピークだとすると叉.寒冷化に向かいCO2 など問題では無くなる。このスパンはやや長い。
果して.どんな周期的変動が2012年に待ちうけているのだろうか。