タミヤさんのツイートにときめいた理由 | 「元気っ子さん」(ミニ四駆コース常設店) 公式ブログ

「元気っ子さん」(ミニ四駆コース常設店) 公式ブログ

神奈川県横浜市に2016年9月にOPENした
ミニ四駆常設コース設置店です。
ラジコンも一応走らせられる
狭~いスペースがございます。

このブログを読んでくださっている皆さんは薄々お気付きかとは思いますが、私・店主はタミヤ製品が結構好きです。
 
前に書いたことと重複しますが、小学生になる前にミニ四駆(レーサーじゃないハイラックス)に触れたのが最初のタミヤ製品。小学校高学年の頃から1/24スポーツカーシリーズ(特に接着剤不要のAE92トレノとカローラFX)をたくさん組み立て、6年生の時にサンダーショットQDが懸賞で当たり、今に至ります。
 
先日拝見した、タミヤさんの公式ツイートで、「そうだ、こういうのでワクワクしたんだった!」とタミヤ好きを決定づけたきっかけが改めてわかりました。
 

▲これです!

 
当時の日本はF1ブームでした。
80年代後半から90年代初頭まで、ホンダエンジンのマシンが毎年大活躍。
ザクスピードヤマハ、スバルコローニなど、花開くところまではいかなかったマシンもありましたが、マーチはレイトンハウス、ローラはエスポラルース、アロウズはフットワークと、数多の日本の企業名が冠されました。
 
マクラーレンのノーズには集英社の「ジャンプ」のスポンサーロゴが付き、亜久里さんはダイナブックのCMに出演され、中嶋さんはエプソンのCMソングまで歌っていましたね。
さらには「セナ様…」と女子が祈りを捧げながら涙を流すという、わけのわからないCMまでありました。
 
そんな中、我らがタミヤ様は91年、キャメルという大スポンサーを失った斜陽の名門チームロータスのスポンサーになりました。
後のチャンピオン、ミカ・ハッキネンのデビューマシンです。
 
もちろん京商さんが、91年にブラバムヤマハ、92年にジョーダンヤマハのスポンサーをされていたのも存じ上げてはおりましたが、やはり地上波で「RCカーグランプリ」を放送しているタミヤとロータスのタッグに、中坊の私はより親近感を覚えたのは間違いありませんでした。
 
私が見なかっただけで、ブランデルとブランドル、またモデナとグージェルミンが京商さんの製品を持ってアピールする機会もあったのかも知れませんが、やはりハッキネンとハーバートがタミヤ製品を持っている姿が記憶に残ったのでしょうね。
 
また、シオノギ製薬さんやイエローハットさん、そしてPCエンジン「F1サーカス」シリーズでおなじみの日本物産さん等も、シーズン途中からロータスのスポンサーになりましたが、コマツさんとタミヤさんはシーズンの始まりから、キャメルのいなくなった苦境のロータスにしっかりとロゴが貼ってあったことも誇らしかったです。
 
▲こういう文言が信頼性と親近感を高めたのです。
 
▲1/10も
 
▲1/20も
 
▲1/14も
 
そして、持ってはいませんが、1/32の「ミニF」も。
 
こういう商品展開、当時は当たり前のように感じていましたが、スゴいことなんですよね。
 
今でも「ロータス102B」で思い出すのは、91年の第3戦・サンマリノGP。
あのプロストがなんとフォーメーションラップ中にコースアウトする程の雨。そして一時、マクラーレンとティレルによる、夢の1~4位がホンダエンジンという編隊走行も。
その後も荒れた展開で、1-2はマクラーレン勢が占めたものの、3位にはスクーデリアイタリアのJJレートが入った波乱のレース。
 
そんな中、期待の新人ミカ・ハッキネンは5位、ジュリアン・ベイリーは6位と、ロータスの2台は見事に入賞を果たしたのです。
 
現在とは違い、当時の入賞は6位まででした。私の推していたリジェのブーツェンは惜しくも7位でしたので、残念な気持ちも多少ありましたが、それでもロータスの入賞に歓喜したのを、昨日のことのように記憶しています。
 
91年のロータスは、サンマリノが最初で最後の入賞となりました。ベイリーに至っては、開幕2戦と翌4戦モナコは予選落ちし、その後ジョニー・ハーバートと交代になりましたので、ホントにホントにレアな入賞でした。

 

▲たぶんそんな理由から、プラモデルもベイリーのヘルメットで。

 

▲その後、94年までロータスに在籍したハーバートも好きでした。

 
こうして、レースを身近に感じることができたのは他ならないタミヤさんのおかげなのです。

 

▲まあちょっと前にもおんなじようなこと書いてて進歩しませんが…

 
だから、冒頭のツイートは、レーシングスーツが見つかったことよりも、やっぱりタミヤさんがスポンサーやっていてくれて、当時の中学生に希望を与えてくれたなあ、という感謝の気持ちが先に来ましたね。
 
という想い出補正を加味したほのぼの記事で終わりたいところですが、最後に少しだけリクエスト。
 
現代のフォーミュラーカーを既存シャーシで表現するには、若干ディメンション的に無理があるのも理解はできます。
今のF1は昔よりも、版権とか使用料なども大変なんだろうなあ、ということもなんとなく想像されます。
そして、普段タミグラやタミチャレのレギュレーションに注文を付けたりするのはホントに野暮だと思うので、極力しないようにしております。
 
そのあたりも踏まえた上で敢えて書きたいのですが、「タミチャレF1」の今年の使用可能ボディを見てください。

 

▲MP4/24は2009年シーズン(14年前)のマシン。しかも入手困難。

 

▲F104PRO2はタイプ2017(6年前)。

 

これを、F1ブームの1991年頃に置き換えて考えると、例えば「タイレルP34」(1977年仕様)と、ロードウィザードF1(1986年発売)の2種のボディのみが指定になっている、ということです。

 

▲まあ、MP4/24にタミヤのステッカー貼っただけでも全然カッコいい、というのはあるんですけどね(^_^;)

 

でも―

現在も、モータースポーツを愛する青少年は一定数おります(少なくとも当店で接している限りでは)。

青少年だけではなく、もちろん大人の方にもです。

 

そういう方たちにも、私自身が90年代初頭に感じたタミヤさんへのトキメキを感じて欲しいと思います。

 

だから、昔のようにとは言いませんし、そしてシャーシはF104のままで構いません。そして先ほど挙げた3つの点も理解した上で書きますが、2022年シーズンくらいの「それっぽい」雰囲気の汎用ボディを販売してくださったら(ステッカーも何とかしますので)、とても嬉しいです。

F104オーナーももっとテンションが上がると思います。
 
いろいろ難しい点もあるとは思いますが、幼い頃に夢をかなえてくれた「タミヤ」さんにだからこそ、珍しくリクエストなどをしてしまいました。
今後も期待しております!

 


人気ブログランキングへ

いつも最後までお読みいただき、ありがとうございますm(__)m