
2011年6月4日(土)
小さな峠に差し掛かる登り坂の途中に、「千林尼の石畳道」と書かれた説明板(写真上)があり、右手に登る道は明らかに旧街道の趣を残しているので、これを辿ってみた。
暫く往くと「石畳道入口」の標識が見え(写真下)、千林尼石畳保存会が建立したと思しき『千林尼、人のためにと敷いた石、教えし道に、残るあし跡』なる歌碑もある。

更に登って行くと、それらしき石畳が路面から僅かにのぞいている(写真下)が、その石が苔生していることを見れば、ここを訪れる人がついぞ無きことも分かる。

ただしこの道は、峠近くで今は行き止まりになっていて楠地区へは抜けられず、来た道をまた戻るはめになる。
しかし、この石畳が完成したのが文久二年と書いてあるから、黒船が来港して以来の幕末争乱の時代ではある。険しい坂道を往き来する人馬の苦しみを見かねて、自ら托鉢して浄財を集め、石畳を敷いたり橋を架けた千林尼なる人が居たことを初めて知った。
ごく地元の方以外にはほぼ無名と思われる千林尼であるが、今はもう僅かに残るこの道でしか、その遺徳を偲ぶ由もないのかと思いつつ、楠地区へ向かう………
と、ナント、もっと大規模な千林尼の足跡が、楠地区(正確には船木から棚井にかけて)には残っていたのだ。
その3へ続く