4年前、一番悲しかったのは「人々が従った」こと

 

今回の記事のタイトルは、約 3年前の以下の記事のタイトルをそのまま転用したものです。

 

(記事)この第三次世界大戦の責任はどこに、そして誰にあるか
In Deep 2021年11月23日

 

実は、今回の記事でご紹介させていただこうと思っていますのは、こういうこととは関係ないことで、「世界経済フォーラムがついにコロナの真実を語る」というような海外のサブスタック記事です。記事全体として、やや問題のある部分も多いのですが、ただ、「ミルグラム実験」という 1961年の有名な実験を引用していまして、それでご紹介させていただこうと思いました。

 

その記事は最後にご紹介させていただくとして、2020年の…日本だと 3月でしたっけね。緊急事態宣言という名の事実上の準ロックダウンが始まったのは。

 

私はその最初の最初から、「あまりにも論拠に則っていない、それらのすべての政策や指示」に対して、かなり憤っていました。以下はその年の 5月の記事ですが、こんなのばっかり書いてました。特にマスクと社会的距離は、まさに「笑止千万」以外のなにものでもありませんでした(他も全部ですが)。

 

(記事)ロックダウンのこの虐殺ぶりを見よ。さらに「ソーシャルディスタンスは自殺率を著しく上昇させる」ことが米医師会の論文で警告されていた。すべてが人を死に向かわせる「人を機械に見立てる政府対策」
In Deep 2020年5月12日

 

同時に、当時の、まあ今もそうですが、医学の感染症対策の見識って、こんなオカルトレベルで止まっているんだということも知ります。

 

マスク、社会的距離、あるいは黙食とか三密の回避とか(苦笑)、外出や旅行の自粛や、そのうち何だかよくわからないですけど、「夜間の飲食店の禁止」とか、そのすべてにおいて、

 

「ここまで 科学を無視できるわけか」

 

と驚嘆した次第ですが、しかし、世の中を風景を見ていて、私がとても残念だったのは、

 

「ほとんどの人たちがそれに従っていった」

 

ことでした。

 

「あーなるほど…」と思い、それからは特に怒りも何もなくなり、無感情に街の風景を苦笑まじりで見ていたのですけれど、その光景が「社会に連鎖的に広がっていく」中で、当時は同調的圧力とか言われていましたけれど、とにかく相互に「圧」がかかっていく。

 

そうなると、わりとあっという間に、「一般の人たちが一般の人たちを抑止、監視する社会」が完成してしまうのですね。

 

これは当時は、日本に特化した話ではなく、たとえばアメリカなどでもストレートにひどかったようで、以下の記事では、作家のナオミ・ウルフ博士が受けたさまざまなひどい体験の文章を翻訳しています。ウルフ博士の「失われた小さな町」という文章を翻訳したものです。

 

(記事)「私はあなたを許します」
In Deep 2022年11月11日

 

 

当時、市民の「規律」を統制していたのは、体制でも警察でもなく、「市民」でした。市民自らが、この抑圧を率先して遵守し、そして「周囲に強制する」社会ができあがっていました。

 

その後、ワクチン展開の際の日本もすごいものでした。

 

鼓舞したのはメディアや医学者たちだったかもしれないですが、それがただちに「市民ひとりひとりの規範となる」という図式。

 

私自身は、周囲の人間関係があまりない人でしたので、コロナ対策といわれたすべてにおいて、いっさい関わらずにいられましたが、普通の人たちには、社会があり組織があり、人付き合いがある。

 

その中でのマスクワクチンへの「圧」はすさまじいものだったようにも思います。

ワクチンの場合でも、「主要な番人は市民」でした。

 

その頃、たまに引用させていただいた文章に、戦前の映画監督だった伊丹万作さんが終戦の翌年に寄稿した文章があります。

 

先ほどリンクしました記事「この第三次世界大戦の責任はどこに…」でも引用しています。

 

『戦争責任者の問題』(1946年)より

 

少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇ってくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といったように、我々が日常的な生活を営む上において、いやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であったということはいったい何を意味するのであろうか。

 

いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまったためにほかならぬのである。

 

そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかった事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 

しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかったと信じているのではないかと思う。

 

戦争責任者の問題

 

先ほどの記事ではさらに長く抜粋しています。

 

今回ご紹介する海外のサブスタック記事では、計画の頂点の組織としての世界経済フォーラムを非難しているのですが、すぐにその手先となって働いたのは誰か? と、ふと思ってしまったのですね。

 

自覚のないままレギオンになっていったのは誰か?

 

その海外のサブスタック記事をご紹介します。

 

なお、作者の方は、「世界経済フォーラムはパンデミック発生から 5年後の今、このことを発表したのだ」というようなことを書かれていますが、世界経済フォーラムの該当ページの日付けは 2022914日となっており、今から 3年前にはアップされていたものです。

 

ミルグラム実験については、記事の中でも簡単に説明されていますが、記事の後に少し補足させていただきます。

 

 


【世界経済フォーラムがついにコロナの真実を語る:それは、急速に形成される新たな世界秩序への従順さの「テスト」だった

World Economic Forum finally tells the truth about Covid: It was a 'test' of our obedience to rapidly forming new world order
Leo Hohmann 2024/09/06

 

私は長い間、COVID-19 は、グローバリスト捕食者階級の少数の人々によって、ただ一つの理由、つまり来たるべきテクノクラートの新世界秩序のベータテストとして計画的に開始されたと述べてきた。

 

今、世界経済フォーラム(以下、WEF)が発表し、まさにそれが新型コロナウイルス感染症の「パンデミック」が起こらざるを得なかった理由であったことを事実上認めている。

 

WEF は、自社のウェブサイトの「マイカーボン:包括的かつ持続可能な都市へのアプローチ」というページに、いわゆるスマート シティ(15 分都市の別名)を宣伝する次のスニペットを掲載した。

 

WEF が言うところの「スマートで持続可能な都市」というユートピア的ビジョンに世界が進化する前に整えられなければならない 3つの「発展」のうち最初のものは、私たちが、自由に対する制限に従うことだ。

 

WEF は次のように書いている。

 

1. COVID-19は社会的責任の試練だった – 世界中の何十億もの人々が、想像を絶するほどの膨大な数の公衆衛生上の制限を課された。

 

社会的距離の確保、マスクの着用、集団ワクチン接種、公衆衛生のための接触追跡アプリケーションの受け入れなど、個人の社会的責任の核心を示す例が世界的に数多くあった。

 

彼らは私たちを試していた。それがコロナ禍のすべてだった。

 

彼らは、不条理と隣り合わせの規制から成る「ニューノーマル」に従うことで、私たちの何人が個人の自由と主権を放棄するかを見たかったのだ。たとえば、なぜロウズやホームデポで買い物をするのは「安全」なのに、中小企業で買い物をしたり教会に行くのは安全ではないのか?

 

なぜミシガン州のストリップクラブに行くのは大丈夫なのに、庭の種を買うのはダメなのか?

 

WEF が上記の声明で示唆しているのは、「持続可能」であるためには、人々と社会が新しい、より権威主義的な世界秩序に従う必要があるということだ。質問はせず、論理にも頼らず、ただ従いなさい、ということだ。

 

エアロゾル化したウイルスを防ぐために顔用おむつを着用したり、公共の場で 6フィート(1.8メートル)離れて立ったり、これまでに使用されたことのない無認可の mRNA 遺伝子ベースの注射を受けるなど、馬鹿げた新しい法律や規制に直面して、私たちは従順になれるだろうか?

 

彼らはそれがあなたにとって良いことだと言い、多くは袖をまくり上げた。質問や疑問は不要だった。質問したり疑問を持つと、仕事を失い、社会的に追放される扱いを受ける可能性があった。多くの人が、言われたことに疑問を持たずに実行する意志があるかどうかを試すこの恐ろしい「テスト」で、私たちは友人や近親者を失った。

 

それからほぼ 5年後、おそらく世界で最も強力な非営利官民パートナーシップである WEF は、これがすべて私たちの意志の試練であったことを認め、私たちのほとんどがその試練に失敗した(あるいは見方によっては見事に合格した)という事実を祝福している。

 

彼らは、私たちの何人が「想像を絶する制限」に従うことで、無法でファシズム的なシステムへの隷属を証明するのかを知りたかった。その多くは、公衆衛生に何らかの貢献をするという 科学的証拠を全く裏付けずに、根拠もなく作り出されたものだった。

 

米国政府の最高保健官僚であるアンソニー・ファウチ博士は最近、米国民に 6フィートの社会的距離を保つよう求める決定には科学的根拠がなかったことを認めた

 

彼らはただ、私たちのうち何人が、白衣やスーツとネクタイを着た「当局」に対して忠誠を誓うのかを見たかっただけなのだ。

 

新型コロナウイルスとして知られるベータテストは、ミルグラム実験の有効性を再び証明した。

 

この実験は、1961年から 1962年にかけてイェール大学のスタンレー・ミルグラム教授によって実施された。この実験では、命令が公的権威者から発せられたものであれば、圧倒的多数のアメリカ人が間違っていると分かっていても法律や命令に従うことが示された。

 

驚くべきことに、アメリカ人の 65パーセントは、たとえそれが無実の人の死につながると分かっていても、しぶしぶ良心に背いて命令に従うことを示した。

 

Wikipedia - ミルグラム実験より:

 

1961年8月7日から、イェール大学の心理学者スタンレー・ミルグラムによって一連の社会心理学実験が行われた。その目的は、個人の良心に反する行為をするよう指示する権威者に対して、被験者がどの程度従う意思があるかを測定することだった。

 

被験者は、無関係な実験を手伝っていると信じ込まされ、その実験では「学習者」に電気ショックを与えなければならなかった。これらの偽の電気ショックは、本物であれば致命的となるレベルまで徐々に増加していった。

 

実験の結果、予想外にも、被験者の非常に高い割合が指示に完全に従い、参加者全員が 300ボルトまで耐え、65%が 450ボルトまで耐えたことが判明した。ミルグラムは1963年に論文で初めてこの研究について説明した。

 


 

ここまでです。

 

 ミルグラム実験が示す人類の「特性」

 

このミルグラム実験の目的とその結果は、簡単に書けば、以下のようになります。

 

実験の結果は、普通の平凡な市民でも、一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明するものであった。 Wikipedia

 

サブスタック記事の説明だけではわかりにくいですので、もう少しわかりやすく書かれているページから抜粋します。立命館大学文学部心理学科のサトウタツヤ助教授によるものです。

 

「ミルグラムの電気ショック実験」より

 

…実験は大まかにいうと以下のようなものです。

 

「体罰と学習効果の測定」で 80名が被験者として参加し,隣室にいる生徒役の回答が間違うたびにより強い電気ショックを与えることを要求されます。もちろん,生徒役に電気は流れていないので苦しんでいるふりをしているだけです。うめき声がやがて絶叫となっても被験者は実験者が「大丈夫です」と言うのにこたえて強くし続けました。

 

最終的に65%の参加者が命の危険がある450Vのショックを与えることになりました。ミルグラムはこの実験をさまざまな状況で行いましたが,61~66%の範囲の人たちが致死の電気ショックを与えたということがわかっています

 

psych.or.jp

 

 

65%の人たちが、

 

「自分に責任がないことが明確な場合、人を殺せる」

 

という「心理」を持っていることがわかったということです。

 

しかし、もっと興味深いのは、この実験の最大電圧(致死電圧)まで続けたのは 65%だったかもしれないですが、Wikipedia によると、以下のようになっていました。

 

 

> …権威のある博士らしき男の強い進言によって一切責任を負わないということを確認した上で実験を継続しており、300ボルトに達する前に実験を中止した者は一人もいなかった

 

 

実験に参加した「 100%」が、相当高い電圧まで実験をやめなかったのです。

 

これはアメリカでの実験ですので、多くがアメリカ人でしょうが、人種云々を別にして、人類はこのような性質を内部に持っていることもまた現実のようです。

 

これが人類の持つ原罪のようなものなのだとすれば、そうそう簡単に変わることのできることではないでしょうが、次に人類が進化するのなら、このあたりの進化も伴ってほしいようにも思います。

 

しかし、今の世では、今度「別の何か」が起きた場合、コロナのときと同じような、しかしコロナのときとは「種類が異なる圧力」が仕掛けられるとも思います。

 

そのとき、社会がどうなるのかということを考えます。、

 

 

 

転載元