人類の進化は「自然」が作ってきた

 

最近書きました麻疹(はしか)ワクチンについての記事で、私は以下のように書きました。

 

自然に任せていれば、人類は生き残っていた

 

…天然痘もそうですが、麻疹や百日咳などの過去のグラフを見ていて気づくのは…まあ、書き方はよくないでしょうが、

 

「死亡する人はどんどん死亡していった」

 

ということです。

 

逆にいえば、

 

「死亡する人がそれ以上いなくなった頃に感染流行は終息する」

 

ということです。

 

強い人が生き残っていく。その遺伝子が継承されていく

 

その強い人たちの遺伝子から生まれた子どもたちも、特定の感染症に対して、また同程度の強さを持っているはずです。

 

麻疹や百日咳やジフテリアの死亡数がワクチン登場前に減少しはじめ、それ以降は流行波を繰り返さなかったのは、そういうことだと思われます (同時に、ワクチン曝露による感染も避けられた)。

 

感染症に対して強い遺伝子が生き残っていく。

 

そういう意味では、実は「今生きている人類は、数百年前の人類より感染症に強い」はずです。

 

遺伝子に介入される 3年前までは。

 

確かに、強い遺伝子だけが生き残っていくという、こういう形のサバイバルの様相は容赦ないようにも見えますが、しかし、人類という単位全体で生き残るには、そのような「一種の進化」しかないはずです。

 

いずれにしましても、すべて自然に任せれば、どんな感染症でも人類は生き残っていけるはずなのです。あるいは「生き残っていけた」はずです。

しかし、 2021年からはじまった人類史上最大の予防医療介入が「人類が生き残っていけた」はずの自然の状態を破壊してしまった。

 

indeep.jp/the-history-of-measles-vaccines/

 

ここでは「進化」などという言葉を使っているのですが、たとえば以前、プリオンの記事を書いたことがあります。世界で日本人だけ「プリオンから守られる変異を持っていない」という話でした。

 

日本人だけが持つ「唯一の特性」と、プリオン病による民族絶滅の関係
In Deep 2024年1月30日

 

 

128番目のコドンの「塩基の置換という突然変異」が、ある時点で人類に起きたことによって、その後の多くの地球の人々が、プリオンで亡くなるということがなくなったのです。

 

その変異が起きたのがいつかはわからないにしても、論文では、旧石器時代などという言葉も出てきますが、ともかく、どこかの時代で、

 

「誰か」

 

にこの突然変異が起きた。

 

その遺伝子が次世代に継がれて、そして時代の経過と共に、どんどんその変異を持つ人たちが世界に拡大していったおかげで、人類の多くは「ブリオン病で亡くなることがなくなった」わけです。

 

そして、現在では、「日本人以外の多くの人類がこの突然変異を持つ遺伝子をもっている」わけです。プリオンで死ににくい遺伝子を、です。

 

 

それと共に、仮に旧石器時代にその変異が起きたとして、このプリオンから守られる遺伝子が人類に拡大していく「間」、何が起きていたかと推測すると、

 

「この突然変異を持たない人々は、ほぼ死んでいった」

 

はずです。

 

多くのプリオン病は人畜共通ですので、十数万年の現世人類の歴史の中では、何度か大流行が起きていたはずです。

 

その中で、その突然変異型の遺伝子を持たない人たちは、生き残ることはできなかったと思われます。

 

しかし、突然変異型の遺伝子を持つ人たちは生き残り、それがさらに次の世代に継承されて、さらに「プリオンに強い人たち」が増えていく

 

 

一番最初にこの突然変異を起こした人類が、いつの時代の誰かはわかりようがないですが、しかし、

 

「それは人為的な医療介入だっただろうか?」

 

という話でもあります。

 

約2〜3万年前の旧石器時代の人類の時代に、mRNA 遺伝子治療や、予防的遺伝子治療はあっただろうか? という話です。

 

おそらく、3万年前にそんな医療はなかったでしょう(断言はしませんが)。

 

突然変異は「自然に」起きた。

 

その突然変異が起きた原因が何かはわかりません。ウイルス「的」な存在などによる外部的要因だったのかもしれないですし、あるいは、昔から常に、他の動物由来のマイクロ RNA みたいなものが、エクソソームと共に環境中にあり続けていたわけです。

 

個別の原因はとにかく「突然変異」みたいなものが自然に頻繁に起きる

 

思えば、人類が(あるいは哺乳類が)、「妊娠できるようになった」のも、この遺伝子の突然変異のようなものによります。それは外部のウイルスのおかげでした

 

 

人類の生殖機能そのものが外部のウイルスによってもたらされている

私がコロナワクチン(あるいはコロナウイルスそのもの)に最初に疑義を抱いたのは、そのスパイクタンパク質が、

 

「シンシチンというものに免疫反応を引き起こす可能性がある」

 

ということでした。2020年12月27日のコロナワクチンと永遠の不妊社会という記事にあります。

 

このシンシチンというものがあって、はじめて、私たち人間(の女性)は「胎盤」というものを持つことができるのですが、しかし、このシンシチンは、もともと人間の遺伝子ではありません。

 

以下はシンシチンに関する科学メディアの記事からの抜粋です。

 

2012年2月15日のディスカバリー・マガジンより

 

…シンシチンの存在が特異に感じられるのは、これは「ヒトの遺伝子ではなかった」ということだった。

 

シンシチンは、ヒトの遺伝子からではなく、ウイルスからの遺伝子のすべての特徴を持っていた。

 

ウイルスは、何億年もの間、私たちの祖先のゲノムに自分自身を組み入れてきた。それらのウイルスは、通常、卵子や精子に感染し、自分たちウイルスの DNA を私たちヒトの DNA に挿入することによってその場所に到達した。

 

…もともと、シンシチンはウイルスが宿主細胞を融合させて、ある細胞から別の細胞に広がることを可能にした。

 

このウイルス遺伝子により、私たち人間の赤ちゃんは母親と融合することができている。

 

indeep.jp

 

同じ記事には以下のようにあります。

 

ヒトゲノムには 100,000の既知のウイルス断片があり、DNAの 8%以上を占めている。

 

このウイルス DNA のほとんどは非常に多くの突然変異に見舞われているが、それでも、私たちのヒトの体内には、まだタンパク質を作るウイルス遺伝子がいくつかある。

 

人類の歴史の中で、次々と外部のウイルスがヒトの DNA に組み込まれることによって人類は進化してきたわけです。

 

そして、人類は赤ちゃんを作ることができるようになった。

 

このシンシチンというタンパク質を人類が獲得しなかった場合、人類は、「絶滅していた」わけです。何しろ次の世代が生まれないわけですから。(シンシチンのない世代まで、どうやって行き着いたのかは謎ですが)

 

 

このように考える根幹には、ずいぶん以前に読んだフレッド・ホイル博士の記述があります。

 

現在は、「ウイルスが人間に感染する」という考え方が一般的ですが、ホイル博士は、真逆に考えていました。

 

「人間自身がウイルスを選んで招き入れている」

 

という考えでした。

 

今から 11年前の「ウイルスが人を選ぶのか? 人がウイルスを選ぶのか?」という記事に、ホイル博士の『 DNA は宇宙を流れる』から抜粋しています。

 

そこから少し抜粋します。

 

フレッド・ホイル『 DNA は宇宙を流れる』 第4章「進化のメカニズム」より

 

…通常、ウイルスと免疫との関係と言えば、ウイルスがわれわれの細胞を騙して侵入し、それに気づいた免疫機構がウイルスを排除しようとして戦う、という説明がなされている。

 

けれども、まっすぐに伸ばすと全長 1.5メートルにもなり、 10万個もの遺伝子を持つヒトの DNA 分子が、全長わずか数ミクロンで、数個の遺伝子しか持たないウイルスの DNA 分子に「騙される」などということが、本当にありうるだろうか?

 

また、ウイルスが侵入してからの免疫システムの素晴らしい活躍ぶりを見ると、どうして、もっと早いうちに完全にブロックしておかないのだろうと疑問に思わないだろうか?

 

そこまで工夫している余裕が細胞になかったのだろうと言うことはできない。

 

なぜなら、宿主細胞の核酸には、ウイルスの核酸などお呼びもつかないような大量の情報を書き込むことができるからだ。この能力を総動員してかかれば、もっと早い段階でウイルスの侵入をブロックすることも、遺伝子のプログラムの二重書きをふせぐことも、わけもないはずなのだ。

 

したがって、そんな仕組がない理由はただひとつ。

 

それはウイルスの侵入が、われわれ生物にとって望ましいからだ。

 

ちっぽけなウイルスが大きな生物を騙すのではなく、生物が自らの利益のために ----- 進化するために ----- 進んでウイルスを招き入れるのだ。

 

われわれは、免疫機構に対する考えを改めなければならない。免疫機構は、常に新参者を探しているが、それはわれわれの遺伝システムがそれを取り込むことが進化論的立場から価値があると認められるような新参のウイルスを探すためなのだ。

 

明らかに価値がなさそうなものは門前払いをくらい、見込みがありそうなものだけが細胞との相互作用を奨励される。もちろん、その個体が死んでしまっては、ウイルスを感染させた意味がなくなるから、適度なところで病気を終息させる必要がある。そこで、ウイルスが感染し、目的の組織で増殖しはじめると、インターフェロンが作られはじめるのだ。

 

こういう考えはどうも腑に落ちないと思われる方もあるだろう。ウイルスに感染した人は苦しい目にあうから、どうしても「ウイルス=悪者」という先入観を持ってしまうからだ。

 

けれども、個体の苦しみは、種の利益とは関係ない。問題になるのは、100万の失敗のほうではなく、ときどきそれがうまく行くという事実の方なのだ。

 

ここに、

 

> 個体の苦しみは、種の利益とは関係ない。問題になるのは、100万の失敗のほうではなく、ときどきそれがうまく行くという事実の方なのだ。

 

とありますが、これが「人間が病気にかかる理由」です。

 

進化のために自ら感染する(本人の意志ではなく、種としての人類の意志です)。

 

場合によっては、そのために多くの人たちが亡くなる。

 

しかし、その中で、「生き残る突然変異を起こす人たちが出てくる」わけで、その遺伝子はやはり「次世代に受け継がれる」

 

その結果、その後の人間は(ある病気に対して)少し強くなって、次世代に登場する。

 

これがホイル博士の言う、

 

「個体の苦しみは、種の利益とは関係ない」

 

ということで、そして、

 

「問題になるのは、ときどきそれがうまく行くという事実の方」

 

なのです。

 

人類という種全体の進化のために、個人がウイルスに感染する。

 

場合によっては、それにより死ぬ。

 

しかし、「たまにうまく行く」

 

以前、記事で、グラフで示しました「麻疹の死亡者の推移」などは、それを端的に説明していないでしょうか。

 

1900年からの米国の麻疹による死亡数の推移

Epoch Times

 

30年くらいを一世代として考えると、二世代くらいで「自然に」この世から消えています。その後、麻疹が事実上消えた頃から世界でワクチン接種が始まりますが、当然、それが始まっていなくとも、「麻疹に弱い遺伝子を持つ人たちは自然に消えていった」はずです。

 

消えていくということは、その遺伝子は基本的には後に残りません。

 

ですので、その後、何十年経っても、麻疹は本格的には復活していません(ただし、多くの人類が遺伝子を改変された 2021年以降は、また流行が復活してもおかしくはないと私は思っています)。

 

 

自然に任せておけば、

 

「ウイルスの影響や突然変異を経て、人類は勝手に進化していく」

 

はずでした。

 

もちろん、このような大量死を伴う「自然の進化」の概念は残酷な響きかもしれませんが、やはり「個人の問題ではなく、生物としての種の問題」だとも思います。

 

だからこそ、ホイル博士は、

 

「個体の苦しみは、種の利益とは関係ない」

 

と、一種冷たく言い放っているのです。

 

「進化」というのは「種そのものの命題」です。

 

これは人類だけの話ではないでしょうが、私は人類ですから、人類にとって、その全体の進化ということを気にかけます。

 

しかし、歴史ではそれは「自然の状況下でのみ起こる」ことでした。

 

人類の多くがプリオン病で死ななくなったのも、天然痘のような病気が、まるで「自然に消えていったかのように見える」のも、自然の中での変異なりウイルスの影響なりがあって起きたことのはずです。

 

その「自然のメカニズム」が 2021年以来、侵害されたわけですね。

 

もっといえば、さらに昔から医療によって人類の進化は妨げられているのですが、しかし、遺伝子に介入したのはやはり問題だと思います。

 

人類の進化は止まったと私は考えます。

 

人間だって将来的には、クマムシみたいな、食べる必要もない、暖房も必要ない、場合によって酸素も必要ない、みたいな存在になれた可能性だってあったかもしれません。

 

まあ、そこまではないとしても、精神的な意味での進化などを含めれば、500年、1000年の単位で考えますと、想像できないような進化が人類を待っていたかもしれない。

 

それが止まった感が強いですね。

 

 

悪魔

……まあ、今はいろいろなことに「陰謀論」というような概念が、よくつきまといますが、考えてみれば、私自身は、もっと狂気的なところから始まっています

 

それは、

 

「悪魔との対峙」

 

です。

 

それが In Deep の一義的なテーマである部分さえあります。

 

以下の記事は、東北の震災の少し前の 13年の記事ですが、私が若い時から「ぼんやりと悪魔という存在を考え続けていた」ことなどを初めて書いた記事のように思います。

 

「In Deep の意味」、「 23 の意味」、そして「悪魔」
In Deep 2011年01月29日

 

 

コロナワクチンの時も、あれだけ世界的な事象になっていくと理解した時点で、私の心の中に浮かんできたのは、いわゆる陰謀論ではなく、

 

「また悪魔かよ」

 

というほうの観念でした。

 

この攻撃は強烈でしたけどね。

 

人類まるっと変わってしまったんですから。

 

ただ…。

 

この 4年間のことを思い出しますと、悪魔云々よりも、19世紀のセルビアの預言者だったミタール・タラビッチの以下の言葉のほうが、しっくりきます。

 

タラビッチ「クレムナの予言」より

 

人間の魂は悪魔にのっとられるのではない。

 

もっと悪いものにのっとられるのだ。

 

その頃の人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。

 

このミタール・タラビッチの予言は、こちらの記事で翻訳しています。

 

自分たちの信じる幻想もいいんでしょうが、人類進化に実害のある幻想が今後も続いていくのは、どうなんでしょうね。

 

何だかいろいろ妙なことを書いてしまいました。

 

 

 

転載元