三十年も前の話だが、母が千歳空港の駐車場でマフラーを拾ってきたことがあった。入れ違いで出ていったベンツが落としたもので、気づいて追いかけたのだが、そのままいってしまったという。
妹が調べたところ、それはエルメスのマフラーで、定価が十五万円だという。そのマフラーは私がもらい受け、いまだに愛用している。とはいえ、私はブランド物には、まったくといっていいほど頓着がない。
昨年(二〇一七)の十一月下旬、母と妹を車に乗せて、ドラッグストアに立ち寄った。札幌に大雪が降った日のことである。
買い物を終えて車に戻ると、妹が雪の中から小銭入れを拾い上げ、
「拾っちゃった。ここに落ちてた」
と言いながら雪を払っていた。お店に届けてくるから待ってて、という妹を押し留めた。お店で買ったものをいったん自宅に持っていき、今度はスーパーで買い物をしなければならない。いきなり積もった三十センチの雪と近づく夕暮れに私の気が急(せ)いていた。しかも、小銭入れは古びており、中には一二〇円ほどの小銭しか入っていなかった。そんなわけで、いいだろうと判断したのだ。
「これソメスサドルだよ。落とした人、ショックだろうな、高いから」
(何だ? その自転車の椅子みたいな名前は)と思いながら小銭入れを見ると「SOMES」という小さな刻印があった。後ろめたい、という妹の言葉を振り払うようにして、私は車を出した。
スーパーでの買い物を終え、三人で夕食を摂った。会計をしようとレジで財布を出したのだが、小銭入れが手に触れない。改めてリュックの中を確かめながら探したのだが、どこにもない。背中に会計待ちのお客の視線を感じ、あせり始めたときだった。アッ! と思った。「あの小銭入れは、オレのか?」という思いがよぎった。
そばにいた妹に小銭入れを見せろと言って手に取ると、小銭入れの小さなポケットに古びた十円玉が一枚入っていた。
「これ、オレのだ!」
そう言ったときの妹の顔は、これ以上はムリと言わんばかりの最大級のあきれ顔だった。私は自分の財布がわからなかったのだ。あのとき、ドラッグストアに届けなかったのは、結果として正解だった。もう少しで自分の小銭入れを拾って、それを落し物だといって届けるところだった。
この小銭入れ、どこで買ったのかも覚えていない。ただ、小銭入れのくせに生意気な値段だなと思ったのだった。飛び抜けて高かったわけでもなく、ほかの小銭入れとたいして変わらない値段だった。
ちなみに古びた十円玉は、私が生まれた昭和三十五年の十円玉である。たまたま目にし、別にしておいたのだ。それがなかったら、最後まで気づかなかったかもしれない。
2018年3月 初出 近藤 健(こんけんどう)
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