生きた証 | こんけんどうのエッセイ

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  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 私は若いころから自分のルーツに興味があった。興味があるといっても大それた家系ではない。祖母(母方)の家系以外はみな平民、つまり〝百姓の出〟である。母方の祖母の系列が唯一士族であるが、士族といっても熊本の下級藩士、つまり田舎侍である。

 私の興味は、私がどんな血を引いているのか、どこまで自分の血を遡れるのか、父の父は、そのまた父は……、という他愛のないものである。中学生のころ、北海道の田舎町で満天の夜空を眺めながら、自分はどこからきたのだろう、そんなことを漠然と考えていた少年だった。

 私が大学に入学した年、父方の伯父から家族の生年月日を問う手紙が舞い込んだ。七人兄弟の長男である伯父が、公務員を定年退職後、家系図の作成を始めたのだ。伯父は北海道から父親(私の祖父)の故郷である秋田まで足を運び、菩提寺(ぼだいじ)の過去帳をもとに六代、一七〇年にわたる家系図を作成した。昭和五十四年(一九七九)のことである。私はその手書きの家系図を折に触れては眺め、それぞれが生きた時代に思いを馳(は)せてきた。

 それから三十年(二〇〇八年時点)。現在、私の手元には、両親の祖父母合わせて十八通の除籍謄本と戸籍謄本がある。除籍謄本とは戸籍から全員が抜けて空になったものである。これらは、私が平成十七年から始めた家系調査で集めたものである。

 その結果、祖父(父方)の家系図は伯父が作成したものに私の子の代を加え、七代、二〇〇年となった。一方、祖母(父方)の方は、大正十二年(一九二三)の祖母の本籍地である函館市に除籍謄本の請求を行ったが、昭和九年(一九三四)三月二十一日の函館市の大火で焼失したという回答が返ってきた。

 母方の祖父は、徳島県、阿波の藍生産農家である。だが、除籍謄本から遡れたのは、明治十年(一八七七)生まれの曾祖父まで。北海道有珠(うす)郡にあった祖父の除籍謄本から、その先の大阪市西区を辿(たど)ったが、平成十二年に除籍謄本が廃棄処分されていた。除籍謄本の保存期限は、八十年(現在は法改正により一五〇年)なのである。

 だが、祖父の遠戚が北海道開拓百年を機に、祖先の事跡を辿(たど)った本を昭和五十九年に自費出版している。この遠戚は祖父の父親の妻の家系で、つまり私の曾祖母の家系に当たる。この本により、母方の祖父の母方、つまり私の曾祖母の父方を十代前まで、また母方を六代前まで遡ることができる。ここまで遡上すると、血縁関係を言葉で伝えることには限界がある。その繋(つな)がりがなかなかピンとこなくなり、理解に窮する。

 最後は、私の祖母(母方)の家系である。祖母の父、つまり私の曾祖父は熊本から屯田兵として北海道にやってきている。幸いにもこの家系には除籍謄本が四通ある。曾祖父と曾祖母、さらにその家督を継いだ男子二名(曾祖父の子)のものである。

 私はこの曾祖父を遡るべく、札幌市と熊本市に除籍謄本の請求を行ったが、札幌市の除籍謄本は、平成七年(一九九五)に廃棄処分されており、熊本市の方は、昭和四十四年(一九六九)に処分されていた。

 自分のルーツを除籍謄本から辿ることは、法定保存年数が壁になり、今年(二〇〇八)でいうと昭和四年に除籍となったものまでしか遡れない。

 現在の戸籍法では、結婚すると自動的に新たな戸籍が編製され、本人が筆頭者となるが、旧法では分家しない限り戸主(筆頭者)の戸籍に子孫が連なる。妻子、孫はもちろん、戸主の弟妹、さらに弟の嫁、その子まで、芋づる式にぶら下がっている。

 現に私の除籍謄本の最も古い戸主は、一六四年前の弘化元年(一八四四)生まれで、二十二名が名を連ねている。さらに前戸主として戸主の父親の名前までわかる。

 自治体によっては、除籍謄本を近代日本の遺産と位置づけ、処分を保留しているところもあるが、それはごく一部のまれな自治体である。

 除籍簿は、公的な資料として辿れる唯一のものである。八十年という保存年数は、相続にかかわる問題でそうなったのだろうが、永久保存にならないものかと思う。現在の戸籍法は、明治三年(一八七〇)に施行されたもので、近代史を辿る上で、貴重な資料となる。ある意味、近代の貝塚である。

 さらに戸籍法の改正により、自分が欲しい戸籍謄本は、「戸籍謄本」(全部事項証明)なのか、「改製原(かいせいげん)戸籍謄本」か、「除籍謄本」まで必要なのか、素人にはわかり難いこと極まりない。

 

 私の家系調査を阻(はば)んだものは、先に挙げた除籍謄本の保存年数だけではなく、新たな法律の壁であった。個人情報保護法である。祖母(母方)の家系を遡っていたとき、面識のない遠戚に調査協力の手紙を出していたところ、

「ご主旨、よく理解できるところですが、私の一存ではご協力できかねるところで、法の定めに従って考えねばならぬところと……」

 と断られた。高裁の判事を退官した人で、その子も法曹界とのことだった。家系図が個人情報であるなら、そのうちお寺の過去帳も個人情報に抵触するのか、と戸惑いを隠せない。

 職権で戸籍を探索できる司法書士、行政書士などの法曹関係者と、地方自治体の戸籍係、それと宗派を越えた各地の僧侶が三位一体となって結託すれば、近代および近世日本史は、面白い方向に展開するだろう。毎年機械的に廃棄処分される除籍謄本をただ黙って見過ごすしかないことに、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感を禁じ得ない。

 除籍謄本は、個人を証明する唯一の公的な資料である。その処分は、この世での個人の生きた証を永久に喪失することを意味する。そう考えると、先に起こった東日本大震災は、未曾有の被害を出したわけだが、もちろん戸籍謄本も津波で流されている。被災地で暮らす人々は、あの日以前の証明がない。そんなところにも、失われたものの大きさが隠されている。

 

 追記

 平成二十二年(二〇一〇)六月一日に戸籍法施行規則等の一部を改正する省令により、除籍謄本の法定保存期間が八十年から一五〇年に延長された。

 

  2008年1月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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