数日前から下半身に違和感があった。そのうち治るだろうと楽観していた。
ある朝、小便をしたとたん、激痛が走った。全身が粟立つほどの痛みである。目の前が真っ暗になった。淋病(りんびょう)だ……間違いない。
あそこが痛いのは淋病、と頭から決めてかかっていた。「便器に小便が当たるだけで痛い」その経験者から聞いたことがある。だが、冷静に考えると、心当たりの行為はなかった。
昼休みに会社を抜け出し、病院へいった。
同僚に教えてもらった病院は、都心の片隅によくある古ぼけた小さな個人病院だった。皮膚科、泌尿器科と看板にある。弓削医院というその病院名に、皮肉めいたものを感じた。奈良時代の僧侶、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が頭を掠(かす)めたからだ。
道鏡は時の女帝、称徳天皇の病を加持祈祷で治したのを機に女帝に近づき、法皇にまで上り詰めた妖僧である。
「道鏡それは腕でないかとみことのり」と古川柳にあるように、道鏡は絶倫なる精力で女帝の寵愛(ちょうあい)を一身に集めた、というのが「道鏡の巨根伝説」である。我が札幌の男子高校の日本史の授業は、そこまで突っ込んだ内容であった。
恐る恐る病院のドアを開けると、昼休みとあって、小さな待合室のソファーがOLたちに占領されていた。顔の吹き出物などの治療にきているのである。これはマズイなと思った瞬間、受付の小窓からバアさんの顔がヌーッと出た。場違いなほど大きなダミ声で、
「どうされました?」
と訊いてきた。
その無神経さに頭蓋骨が破裂するほどの恥ずかしさを覚えた。上気した顔から汗が噴き出し、湯気が立ちのぼった。
「あのー、あそこが……痛いンです」
押し殺した声で囁(ささや)いた。
「ええっ? どこが痛いンですか?」
(ナニィーッ! このくそババア。泌尿器科にきてるンだからアソコに決まってるだろう)
と思ったが、皮膚科もあることを思い出した。OLたちの視線を背中に感じながら、無言で下半身を指差した。
先生の前で自身(オノレ)を曝(さら)け出さなければならない。その恥辱(ちじょく)の瞬間を、待合室の片隅で身を硬くして待った。
ほどなく呼ばれ、診察室に入って仰天した。先生は女だった。十二畳ほどの狭い診察室には仕切りもなく、三人のOLが診察室の片隅で頬の吹き出ものに赤外線を当てていた。その三人がチラリと私を一瞥(いちべつ)し、素知らぬ顔を装っている。だが、三人の耳は、パラボラアンテナよろしく、みなこちらを向いていた。一巻の終わりである。
先生は私の説明もそこそこに、「じゃ、ちょっと見せてください」と私のモノを手のひらに乗せ、八百屋でナスやキュウリでも吟味するような目つきで、様々な角度から眺めている。傍らに立つ看護師がその様子をあまさず見物! という構図を想定していたのだが、そうはならなかった。
先生から、輪ゴムで止めた二枚のガラス板を渡された。それは中学の理科の実験で顕微鏡を見るときに使う、あのガラス板であった。
「明日の朝、起きたらすぐに先ッチョをこの板に擦りつけて持ってくるように」という。あまりにもあっけない結末に安堵すると同時に、腰が抜けるほどの疲労を覚えた。
翌日。そのガラス板を手に、再び老女医と向き合った。女医は、医療器具の置いてある棚から、野口英世が使っていたような年季の入った顕微鏡を取り出し、私の目の前で眺め始めた。
顕微鏡のピントを調節しながら、ガラス板を少しずつ移動し、熱心に眺めている。私は固唾を呑んでその様子を見守った。ひどく長い時間に感じられた。そのうち私自身も椅子から腰を浮かし、身を乗り出した。やがて先生の動きが止まったとき、堪え切れず、
「何か見えますか」
と声が出た。
「……見えませんねェ、何も」
背中を丸め執拗(しつよう)に顕微鏡を眺めていた女医が、顔を上げた。
「尿道炎です」
とキッパリと言い放った。裁判に勝った原告団にも似た喜びが、腹の底から溢(あふ)れてきた。胸にたまっていた大きな塊(かたまり)がスーッと消えていく。振り向くと数人のOLが、あらぬ方向を見ながら、相変わらず赤外線を当てていた。
「おだいじに」
と薬を差し出す受付のバアさんに、握手したい気持ちを抑えて玄関を出た。同時に、場外馬券場などでよく目にする煤(すす)けた顔の中年男性と入れ違いになった。男はこころもち前かがみの格好で、扉の中に消えた。
やがてドアの向こうから、
「どうされました」
という例のダミ声が聞こえてきた。
2004年8月 初出 近藤 健(こんけんどう)
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