遅ればせの読書三昧 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 昨年(二〇〇三年)の春、私はエッセイで小さな賞をもらった。そのとき作家の佐藤愛子先生より身に余る選評をいただいた。佐藤先生の本は何年も前にエッセイを一冊読んだきりだった。大先生からお褒めをいただいたのだから、記念に彼女のものを少しは読んでおいた方がいいだろうと、本屋の本棚からデタラメに三冊抜き取ってそれを読んだら、抜けられなくなってしまった。

 以来、今日までの一年間に、九十四冊の文庫と文庫になるのを待てなかった『血脈』を読んだ。私の調べた範囲では、佐藤愛子先生にはあと少なくとも二十冊を超える文庫がある。こうなったら全部読まなければ気がすまない性質(たち)である。

 現在、私の行動範囲の中に十七軒の「ブック・オフ」なる中古本屋がある。行動範囲とは、休日に自転車で巡回できる範囲であり、おおよそ練馬区、中野区、杉並区、板橋区になる。短期間にこれほどの本を入手できたのはこの店のおかげだ。しかも、ほとんどが一冊百円、高くても三百円という、願ってもない値段である。

 だが、ここにきてパッタリと本が手入できなくなってしまった。佐藤先生のものは、ほとんどが絶版本なので、十七軒でも追いつかなくなったのだ。新規の店が近場には見当たらないので、仕方なく違う作家に手を出している。

 現在、私には「最重点作家」と名付けている作家群がいる。それは私が敬愛してやまぬ作家たちで、彼等が書いたものは文庫ですべて読んでおり、ときおり書店の新刊本コーナーを巡回してはチェックし、新刊が出るや否や、何はさておき読む作家である。

 現在の最重点作家には佐藤先生はもちろんのこと、車谷長吉、出久根達郎、辻仁成、青木玉(露伴の孫)、青木奈緒(青木玉の娘)、藤原正彦がいる。この作家群のほかに、「準重点作家」がおり、それは重松清、田口ランディ、吉本ばなな、川上弘美などだ。大好きな作家というわけではないが、気になって文庫をすべて読んだ手前、新しいのが出るたびに読まざるを得なくなった人たちである。

 さらにこれとは別に「予備群」というのがあり、今後準重点作家に昇格するかもしれず、いきなり最重点作家にもなりかねない人々である。今のところ、柳美里、北杜夫、田辺聖子、遠藤周作である。この予備群は非常に流動的で、いつ誰が入ってくるかわからない。三島由紀夫や坂口安吾などが入ってくる可能性もある。

 ちなみに過去の最重点作家には、立原正秋、壇一雄、司馬遼太郎、宮澤賢治、永井荷風、泉鏡花、寺田寅彦、内田百閒、幸田露伴、幸田文(露伴の娘)などがおり、これらも新刊が出たら買う対象となっている。ただ、司馬遼太郎だけは別格で、彼の作品はあまりに多く、以前は出版社別に読破していたが、少々疲れたために、現在休止中である。立原正秋は唯一すべて単行本で読んだ作家で、壇一雄の本は入手困難なため、全集を買った。この二人は、私の中では格別中の格別の作家である。私が練馬に越す最終的な決め手となったのは、壇一雄(女優、壇ふみの父)の自宅が近所(石神井)にあったからだ。

 以上が、私の三十年近い読書遍歴の一端なのだが、こうしてみるとたいした量ではない。ものを書くためには読まなければならないのだが、これでは絶対量が足りない。三十年といっても、後の二十年はサラリーマン生活の中でのこと。私は、読書後発者である。お気に入りに外国人(欧米人)作家がひとりもいないのも歪(いびつ)だ。

 ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を一か月半もかけてやっと読み終えたのは十五歳の秋である。高校一年の男子寮のベッドの上であった。中学時代、国語の先生がことあるごとに読書をしろ、本を読めとしつこく言っており、うるさいなと思いながらも、先生の口に上った『車輪の下』を記憶しており、「どれ、読んでみるか」となったのが手始めであった。

 『車輪の下』は、私にとって生涯で三冊目に読んだ文庫であったが、その一センチ足らずの文庫の厚さを眺めながら、私は死ぬまでに自分の背丈を越すほどの本が読めるだろうか、と気が遠くなるような思いで考えていた。

 もし私が読んだすべての本を散逸しないで持っていたら、六畳間の広い方の壁面を覆い尽くすほどの分量になる。だが、残念なことに、読んだ本の三分の二はすでに失っている。保管するスペースがなかった。本を散逸させる前に、私は読んだ本を細大漏らさずすべて小さなノートに書き留めた。十四歳で初めて読んだ相沢忠洋『岩宿の発見』から、現在読んでいるものまでのすべてである。それが私の書斎となっている。私はそういう人間なのだ。

 もし私が、小学生のころからきちんと読書をしていたら、もっとまともなものが書けるようになっていただろう。十代でどれほどの本を読んだかで、その人の筆力が決まる。そう考えている。私の場合、読書に目覚めるのが遅過ぎた。今となっては後の祭りである。その点が、いまだに悔やまれる。

 そういうわけで、佐藤愛子先生三昧のあとに、いきなり辻仁成、壇一雄、車谷長吉、出久根達郎と立て続けに文庫の新刊を読んだため、危うく私の頭蓋骨が爆発しそうになった。あまりにも作家の落差が大き過ぎるのだ。そして、このゴールデンウィークに柳美里の命四部作『命』『魂』『生』『声』を一気に読んだ。その陰には、北杜夫と田辺聖子と遠藤周作が、見え隠れしている。この三人は読み始めたら長くなりそうなので、常に後回しにしている。

 だから、私に読書の時間を提供してくれる往復二時間の通勤電車と、大学病院なみに人を待たせる三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)大伝馬町支店(会社のメインバンク)の待ち時間に、密かに感謝している。

 それにしても読みたい本というものは、あきれるほど次から次へと噴出してくるものだ。いつの間にか読むことが好きになり、書くことまでが趣味になった。夏休みの宿題で野口英世の伝記を読まされ、始業式の前夜、泣きべそをかきながら原稿用紙に向かっていた小学生の自分が、妙に懐かしい。

 人生とはわからないものである。

 

  2004年6月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

ランキングに参加しています。

ぜひ、クリックを!

 ↓


エッセイ・随筆ランキング

 

近藤 健(こんけんどう) HP https://zuishun.net/konkendoh-official/

■『肥後藩参百石 米良家』- 堀部弥兵衛の介錯人米良市右衛門とその族譜 -

  http://karansha.com/merake.html

□ 随筆春秋HP https://zuishun.net/officialhomepage/