クリスマスの記憶 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 (一)

 クリスマスツリーを新調した。

 それまでのツリーは、十三年前(一九八九年)に子供が生まれたときに買ったものである。せめてクリスマスくらい華やかな気持ちで過ごしたかった。

 池袋のデパートへいったのだが、いろんなツリーを売っている。小さな光が揺れ動く様は幻想的で、しばらく見とれてしまった。主流が光ファイバーのツリーなのには驚いた。

 その光を眺めながら札幌の冬を思い出した。ホワイトイルミネーションの光が、雪に反射して幻想的な空間を作り出す。都会の喧騒が雪に包まれ、北国の夜は無音になる。もう何年も見ていない情景である。あの光の中を恋人と歩けたらどんなにかいいだろうと憧れていた。そういう機会は一度もなかった。

 幼いころ、クリスマスが近づくと、父が山から樅(モミ)ノ木を伐ってきて、それに飾り付けをしていた。大人の背丈ほどのツリーだった。子供にとってはとても大きなツリーに感じられた。それがまた嬉しかった。

 二十五日の朝、ツリーの下にプレゼントが置いてある。サンタクロースの存在を、疑うことなく信じていた。トナカイが曳(ひ)くソリに乗って、煙突から入ってくる、と。北国の冬は、クリスマスまでにはちゃんと雪を用意してくれていた。ツリーに灯る赤、黄、緑、青、白の光を飽きることなく見入っていた。今思うと、LEDとは違った、温かな光だった。

「ねえ、ねえ、お母さん見て! サンタクロースがきたんだよ」

 朝起きて、ツリーの下に置いてある、プレゼントを見つけて興奮していた。

 

 (二)

 高校、予備校と四年間を札幌で過ごした。

 高校はカトリック系の男子校だった。二学期の終業式には校長先生の挨拶の後、賛美歌の一〇九番を歌うのがお決まりだった。『しずけき』という歌で、「しずけき 真夜中 貧しい厩(うまや) 神のひとり子は 御母の胸に……」という歌詞だった。そう、この歌は『きよしこの夜』(プロテスタント系)と同じ曲なのだ。大きな体育館に響き渡る一八〇〇名の男が声を張り上げる。壮観なものだった。歌が終わると神父がおもむろに壇上に上がり、聖書の一節を読み上げる。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ……」

 ルカによる福音書の一節である。この間、体育館に鈍い音がして数人が貧血で倒れていたが、それもいつもの光景だった。

 私は、学校の敷地内にある寮で生活をしていた。一八〇人のマンモス寮だった。細い道を隔てたすぐ隣に、レンガ造りの古い修道院があった。クリスマスの夜、そこからこぼれる柔らかな光が窓外の雪を照らし、風情ある情景を醸し出していた。その夜だけは深夜まで明かりが消えなかった。特別な祈りの日であった。

 ほとんどの寮生は冬休みで帰省し、残っているのは補習などに参加しているわずかな生徒だけ。規則の厳しい寮だったが、クリスマスの夜だけは特別だった。寮長先生(寮監)が、こっそりと(五人くらいしか車に乗れないので)お気に入りの三年生だけを、札幌の北一条教会へ連れていってくれるのだ。

 北一条教会は、札幌の中でも古く、由緒ある教会である。教会前を走る北一条通りは、「この道は いつか来た道 ああそうだよ……」と歌われる北原白秋の「この道」である。イブの夜には、聖歌隊が繰り出していた。

 三年生のクリスマスの夜、私も連れていってもらえることになっていた。当日、しのび足で約束の時間にロビーにいったのだが、ひっそりとして誰もいない。三十分待って、痺(しび)れを切らし寮長先生の部屋の前までいったら、真っ暗であった。時間を聞き違えたに違いない。みんなもういってしまったんだと、ガッカリした。

 翌日その話をしたら、

「だってケン君こなかったじゃない。寝ていると思っていっちゃったよ」

 意外なことを言われた。話を聞くと、前日の夜にいったというのだ。私は二十五日の夜中に待っていたのである。そのとき私は初めてイブの意味を知った。

 イブの夜には、今でもしばしばニュースで北一条教会のミサの様子を目にする。そのたびに、当時のことを思い出す。京都智恩院の除夜の鐘が大晦日を代表するものなら、イブの夜は北一条教会のキャンドルライトだった。

 その後、私は、仏教系の大学へ進学した。場所は、京都である。

 

 (三)

 その夜、予備校の寮の蒲団の中で、たった一人で震えていた。前日から喉が痛み出し、とうとう発熱したのだ。ひどい悪寒で、歯がカチカチと鳴っていた。仲間のほとんどは、パーティーに出かけてしまっていた。オレってどうしていつもこうなんだろうと、ひどく落胆していた。

 電気を消して雪明かりだけの暗い部屋で、気分を紛らすためにラジオをつけた。外は、前夜から降り続く雪で静まり返っていた。ラジオからは、様々なクリスマスソングが流れていた。日付が二十五日に変わろうとするころ、耳にしたことのある曲が流れ始めた。ハッとした。瞬間、重苦しい頭骨の中に清流が入り込み、目を瞠(みひら)く。大粒の涙が頬を伝っていた。心に染み込む曲に、感情の堰(せき)が切れたのだ。

「アヴェマリア ドミヌュステイクン ヴェネディクター ツゥ イン ムリアリブス……」

 高校時代、週に一度、宗教の時間があった。授業の冒頭、何も考えずに唱えていたラテン語の祈りの言葉だった。それが曲に乗って流れてきた。グノーの「アヴェ・マリア」である。わけもわからず唱えていた悪魔の呪文が、歌詞だった。

 今となっては、忘れ得ぬクリスマスの想い出である。

 クリスマスが近づくと、毎年ディケンズの『クリスマス・カロル』を読んでいた。そんな時代のことである。

 

 (四)

「ねえ、オレ、カネないんだけどさ、飲みにいかない?」

 イブの夕方、カシンから会社に電話があった。携帯電話のない時代である。人懐っこい口調で話しかけてくるカシンの顔が浮かぶ。

「お、いいよ。どこで会おうか」

 二十五歳のことだった。カシンとは高校の寮からの付き合いである。

「頭痛えな、チクショウ!」

 それがカシンの口癖だった。時間の経つのも忘れて楽しい酒が飲める、そんな数少ない友達だった。

 

「今日はオレのおごりだよ。カネ、ないんだろ」

「いいよ、割り勘で、出すってば」

 カシンは半ば強引に私の手におカネをねじ込む。じゃあなと別れた後で、ちょっと待てよと思い追いかけ、

「お前、電車に乗るカネ、あるのかよ」

 と問いただすと、電車賃もないのだ。

「バカヤロー! どうやって帰るんだよ!」

 再びおカネを突き返す。何やってんだよ、カシンの頭を小突きながら、涙ぐんでいる自分がいた。カシンと飲んで、そんなことが何度かあった。カシンの家は埼玉県久喜市の先である。夜通し歩いてもたどり着ける距離ではない。そんなやつなんだよ、あいつは。

 この十年ほど、カシンとはすっかり疎遠になっていた。でも、せっせと年賀状だけは出し続けた。

 去年(二〇〇一年)の夏の終わり、しわがれた女性の声で電話があった。長谷川嘉信(よしのぶ)の母ですが……、と言われピンとこなかった。カシン(嘉信)のカカ様(カシンは母親のことをそう呼んでいた)だった。カカ様は、カシンの死を告げ、電話口で泣き崩れた。

 私は呆然(ぼうぜん)とし、自失した。カカ様は、私がカシンに出した年賀状を見て電話してくれたのだった。すでに四十九日も終わっていた。

「嘉信のことだから、年賀状なんか出していなかったんでしょうね……ごめんなさいね」

 と言いながら、嗚咽している。死因は大動脈瘤破裂。カシンの口癖「頭痛えな、チクショウ!」が死の予兆だったのか……。

 四十二歳、男の大厄の歳だった。しかもカシンは、新婚だった。いつの間にか結婚していたのだ。

 

 イブの夜、よく飲みにいったな。最近、ちっとも連絡くれないじゃないか。別に気を遣わなくてもいいんだよ。ところで、そっちはどうだ。もう、頭、痛くないんだろ。オレもさ、嫁さん調子悪いだろ、だからお前が逝っちゃってから、まだ一度もカカ様にも会ってなくて……。カカ様には高校時代に、さんざん世話になったからな。そのうちきっといくから。久喜だったよな、お前の新居は。たまには連絡よこせよ。でも、不意には出てくるな、寝ている枕元とかにさ。さすがのオレもビビッちゃうからよ。今度はちゃんとご馳走してやるから。ゴメンな。

 

 (五)

(それから二十数年の歳月が流れた)

 

「ねえねえ、明日は二十四日よ、どうするの! 何の日か知ってる?」

「今年最後の給料日の前日だろ。年末調整、思いっきり戻ってこないかな」

 冗談にしては、妙に現実味があって、シャレにもらない。歳月が私の心を劣化させたのだろうか。

「ケーキ忘れないで買ってきてね。小さいのでいいから」

「まだ、必要? 身体に悪いよ、太るし」

 子供だってもうサンタクロースのことは知っている。

 現実にどっぷりと浸かりすぎて、心の余裕をなくしている大人が、子供の夢までも奪い取ってはいないだろうか。

 子供のころ、確かにサンタクロースは、いた。プレゼントは、親が買ってきたもの。だが、それとは別に、サンタクロースはいた。そんな気がする。いや、確かにいた。

 

「ねえ、何してるの。何でまたそんなの出したりして」

 結婚披露宴をきちんとしなかったので、せめてブライダル・キャンドルでもと思い、後になってデパートで買っていたものである。以前はよく結婚記念日に灯をともしていた。いつしか非常用のロウソクとなり、押入れの奥に何年も仕舞い込んでいた。

「この大きさじゃ、一週間も灯を付けっ放しにしたってなくならないよ。たまには、こんなのもいいんじゃない」

 照明を落としてロウソクの灯を見つめる。しばらくすると、それまで過ごしたいくつかのクリスマスの夜が頭をよぎる。ワイングラスを翳(かざ)して見る灯は、遠いむかしの記憶を朧気(おぼろげ)に呼び起こす。

「あの夜景、よかったよな。どこだったっけ、貿易センタービルだったかな……」

「はぁ? そんなとこ、私はいってませんが」

「あの海の見える夜景だよ、浜松町のさ……。エッ! アレッ、違ったっけ。間違ったかもしれない……」

「私は、そういうところへは一切連れていってもらったことはありません。ねえ、誰なの。誰といったのよ」

 ピシャリときた。

「……あッ! 宝くじ、ジャンボ、買ってあるよね。ああ、よかった。買わなきゃ当たらないもんな」

「ごまかさないでよ!」

 絶体絶命。

「もう、いいかげんにしてくれない」

 娘の一言で落着した。

 ロウソクを出したのが失敗だった。キャンドルライトとワインの酔いに、つい気が緩んだのだ。ロマンチックのすぐ横に現実がある。

 

 イブの夜はいつも、何か特別なことが起こりそうな予感がする。クリスマス・イブとはそういう夜なのかもしれない。これから先、どんなドラマが待っているだろうか。

 

  2002年12月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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